この記事では、「心頭滅却」と「明鏡止水」の違いを分かりやすく説明していきます。
「心頭滅却」とは?
心頭滅却は、しんとうめっきゃくと読むのが正解な言葉です。
漢字で書かれたこの言葉を見れば理解可能な事でしょうが、心や心の中といった意味を持っている心頭の漢字に、すっかりなくなる事や滅びる事といった意味を有する滅却の漢字を付け足す事で成立した言葉となっています。
だからこそ心頭滅却は、無念無想という境地に達する事を表すのです。
「心頭滅却」の言葉の使い方
心頭滅却は、無の境地に入る事を意味する言葉として使われています。
例え困難な状況であっても、無念無想の境地に至っていれば苦しくはない、という意味の言葉として、この心頭滅却は使用されているのです。
「明鏡止水」とは?
明鏡止水は、めいきょうしすいと読むべき言葉となっています。
文字で記載されたこの言葉を目にすれば一目瞭然な事となりますが、曇りのない鏡という意味の明鏡の文字に、流れずにとどまっている水という意味がある止水の文字を加える事で完成した言葉です。
以上の事から明鏡止水は、邪念が消えて澄み切って落ち着いた状態の心を示します。
「明鏡止水」の言葉の使い方
明鏡止水は、澄み切って平安を見出した心という意味の言葉として用いられているのです。
邪な心が消え失せた事で、心が澄んで非常に落ち着いた状態になっているという意味で、使用される言葉となっています。
そのため武道等で境地に達した様な心の状態を表現する際に、使われたりもするのです。
「心頭滅却」と「明鏡止水」の違い
心頭滅却と明鏡止水は、どちらも雑念や邪念が消えて、平穏の境地と言える状態になった心という同じ意味を示す言葉となっています。
ただし漢字表記を見比べれば分かる事ですが、使用されている漢字も、読み方も全然違う言葉同士です。
まとめ
2つの言葉は、使用している漢字も読み方も似てはいません。
ですが共に、邪念が消えて心が澄み切った様に静かになる、という境地に達したという同じ意味合いを指し示すのです。