この記事では、「優柔不断」と「右顧左眄」の違いを分かりやすく説明していきます。
「優柔不断(ゆうじゅうふだん)」とは?
「優柔不断」とは、「気が弱く、決断力に欠けることやそのさま」を意味する言葉です。
語源や由来は定かではありませんが、古代中国栄王朝や元王朝、明王朝などの書物に「優柔不断」の記載が見られます。
また、「優柔不断」に似た表現として同じく、古代中国の書物に「優游不断(ゆうゆうふだん)」や「優柔寡断(ゆうじゅうかだん)」などもあります。
現代の中国語では、このうちの「優柔寡断」が日本語における「優柔不断」の意味で使用されているようです。
「優柔不断」の使い方
「優柔不断」は名詞としてや、形容動詞として「優柔不断だ」などのように使われています。
「右顧左眄(うこさべん)」とは?
「右顧左眄」とは、「右を見たり、左を見たり、周囲の状況ばかりを気にし、なかなか決断ができないこと」や「周囲の意見ばかりを気にしていること」を意味する言葉です。
「顧」は後ろや過去を振り返るという意味であり、「眄」は横目で見るや流し目で見るという意味が含まれています。
「右顧左眄」の初出は古代中国三国時代の詩人「曹植」の書簡であり、もともとは「左顧右眄」だったようです。
また、書簡では過去の英雄や豪傑たちに負けず劣らずの堂々たる様子の表現に用いられており、周りを気にしている様を指す「右顧左眄」の意味とはむしろ逆の意味で使われていたようです。
「右顧左眄」の使い方
「右顧左眄」は名詞としてや、動詞として「右顧左眄する」などのように使われています。
「優柔不断」と「右顧左眄」の違い
「優柔不断」と「右顧左眄」はどちらも主に「自分の意志が弱く、決断力に乏しいこと」を意味する四字熟語です。
違いとしては、「優柔不断」は名詞、及び形容動詞であるため動詞として「優柔不断する」と用いることはできません。
逆に「右顧左眄」は名詞、及び動詞であるため形容動詞として「右顧左眄だ」と用いることはできません。
「優柔不断」の例文
・『若い頃の彼は堂々としている今とは違って、優柔不断な性格だった』
「右顧左眄」の例文
・『世間や体裁のことが気になり、彼女は右顧左眄していた』
まとめ
「優柔不断」は「気が弱く、決断力に欠けることやそのさま」を意味する四字熟語であり、「右顧左眄」は「右を見たり、左を見たり、周囲の状況ばかりを気にし、なかなか決断ができないこと」などを意味する四字熟語でした。