「奥義」と「極意」の違いとは?使い方や例文も徹底的に解釈

「奥義」と「極意」の違い生活・教育

この記事では、「奥義」「極意」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。

奥義と極意の違い

「奥義」「極意」の違いですが、まず、「極意」は一つの物事を極めたことを指し、「奥義」へと移行します。

そして「奥義」とは「極意」である極めたという事情から更なる高みを伝授することにあり、簡単に言えば裏技です。

その為、2者の違いを求めるとすれば、物事を極めた状態であるか、裏技を授けられ更なる高みに進んだかという違いです。


奥義と極意の使い方の違い

「奥義」は窮めるというよりも、裏技を授かる、もしくは生み出す行為で、使い方は、「裏技」を伝授する場合「奥義」と呼びます。

一方、「極意」は積み重なる収れんで熟練者となるため、鍛錬することにあるため、使い方の違いは、「裏技」を使用すると公言するか、しないかとします。


奥義と極意の英語表記の違い

「奥義」は英語ではmysteryと呼び、不可思議な現象であるとします。

一方、「極意」はsecretと英語では表現し、秘密であるとします。

英語の場合、日本語と同じで、「奥義」は自然に派生するととらえ、自ら編み出すものとし、「極意」は日本語と異なり秘密主義により生み出される事情とするのです。

その為、日本語と同じ意味合いなのは、「奥義」となります。

奥義の意味

「奥義」は自ら生み出す、もしくは授けられるもので、言ってしまえば「裏技」です。

その為、相手が知らない方法であるものを「奥義」とし、「秘伝」と呼ぶこともありますが、「秘伝」は延々と継承されていくためいずれ第3者が知り得ます。

奥義の使い方

「奥義」の使い方ですが、「奥義」は自らが生み出すか、第3者から継承することで授かる「裏技」で、継承行為や継承したものを使用する場合、「奥義」と名乗れます。

ですが、注意すべくは、「奥義」は実は継承者が多い場合、すべての継承者が似た裏技を用いますので、それを知っている人物からすれば「奥義」でもなんでもなく、ただの手段でしかないです。

その為、「奥義」を名乗る場合、単なる手段で終わることは許されず、相手が知り得ない方法でなくてはなりません。

奥義を使った例文

・『継承されてこその奥義である』
「奥義」は、継承されること前提の裏技であるとしているのがこの例で、「奥義」とは一つの手段ではあるが、継承され、相手が知り得ない方法でなければならないので、この例の場合、恐らく継承者はたった一人です。

複数の継承者が存在する場合、「奥義」と呼ばれる手段は、単なる方法でしかなく、回避するすべを相手が知っていた場合、そちらを「奥義」とするため、必ずしも「奥義」とは手段や裏技でありますが敗れることが許されないのです。

もし、見破られた場合、それは単なる手段の一つでしかありません。

・『奥義○○敗れたり』
この例は、対象者が打ち出した手段が看破され、一つの手段としては全く機能してないと言われている例です。

この例の場合、「奥義が破れる」とすることでその方法は通用しないとしており、自ら生み出した方法や、第3者から継承されたものであっても同様に機能しないという例です。

奥義の類語

「奥義」の類語ですが継承される行為であれば、良いため、秘伝や秘奥義という言葉が類語に挙げられます。

奥義の対義語

「奥義」の対義語はまだ、熟練に至らない様子や継承されてない状態を指しますので、未熟や、初歩の他、我流があります。

極意の意味

「極意」は、一つの手段や方法を完全に会得する行為を指します。

その為、修練により、手段方法を会得するため積み重ねることで熟練者とする物を「極意」と呼びます。

極意の使い方

「極意」の使い方は、延々と繰り返し、熟練者となることを「極意」を学ぶやエル都市、熟練者であることを指すのです。

極意を使った例文

・『魚をさばく極意は包丁の使い方にある』
この例は、魚をさばくという手段は、包丁をいかにうまく使用するかであるという例です。

「極意」は積み重ねから上達する様にあり、この場合、包丁で裁くことのみを重点にしていることです。

・『ウナギのかば焼きの極意は誰も知らない』
この例は、ウナギを焼く方法や手段の最高峰となる技術は、誰も知り得ないという例です。

この例では、「極意」は会得できないものも存在しており、最高峰となる技術は一生のうちに会得できないとします。

極意の類語

「極意」の類語は秘密の手段のことを類語と呼び、secretや秘訣に秘伝が類語です。

これらは、第3者から授かるもしくは授けることで機能しますので継承とも呼びます。

極意の対義語

極意の対義語は基本すらできてないさまを指すので、初心や、初歩の他、無法があります。

まとめ

「奥義」「極意」の違いですが、「奥義」は自分が生み出すか他者が生み出し継承する裏技で、敗れることを許しません。

一方、「極意」はあくまで最善の手段ですので敗れてしまうという概念がなく、2つの違いについては、敗れることが許されないか、別に敗れてもよいとします。

なお、「極意」「奥義」も一応形式的には秘伝扱いですが、継承を行う意味買いが強いのが「奥義」で、「奥義」を継承するものは多数を占めてはいけません。

何故なら、多数の「奥義継承者」が存在した場合、その「奥義」を打ち破る方法を編み出していた場合、「奥義」の前提である敗れてはいけないという前提が崩れます。

その為、「奥義」の継承は多数の人物に継承をしてはいけないのは、そうした理由があり、継承者が増えれば増えるほど、だんだんと「奥義」は一つの手段としてでしか機能しなくなり、打ち破ること前提でお話が進んでしまうのです。

また、「奥義」は何度も見せることはならず、その理由は打ち破るものがいずれ現れるため、何度も使用することは禁止されていることもあります。

ですが、「極意」はあくまで最善の方法なのでいわば善意で、良き方法を口授しているのです。

そのため「極意」を広めることは善行であり、「極意」を授けた人物が善行で広めることを許した場合、「極意」を第3者に提供可能なのです。