歴史で習う「遣唐使」と「遣隋使」には、どのような違いがあるのか。
この記事では、「遣唐使」と「遣隋使」の違いを分かりやすく説明していきます。
「遣唐使」とは?
「遣唐使」は、唐の文化や政治の制度。
仏教などを学び日本に持ち帰るために630年から894年の間、山上憶良、吉備真備、阿倍仲麻呂、菅原道真などが唐に派遣されたことを指すものです。
諸説あるものの、「遣唐使」が実施された回数は約20回。
この中には、唐までたどり着くことができなかった派遣もありますが、20回ほど、「遣唐使」は派遣されていました。
日本よりも進んでいる文化や政治制度を学ぶことが主な目的で、そのほか、様々な唐の文化が「遣唐使」によって日本に持ち帰られました。
例えば、仏教。
実際に唐の僧侶が日本に来日しています。
その中には有名な鑑真も含まれ、鑑真は日本で唐招提寺を建立しています。
そのほか、「遣唐使」の役割には、政治的な外交も大きなものとなっていました。
「遣隋使」とは?
「遣隋使」は、日本と隋が対等な国だと隣国に知らしめるために。
そして、隋の文化を日本に取り入れるために600年から618年の間、小野妹子などが隋に派遣されたものです。
18年間の間に「遣隋使」が派遣された回数は5回以上。
その記録は「隋書」や「日本書紀」に明記されています。
5回以上もの派遣を行った主な理由は、日本が隋と対等に付き合えるだけの文明を持っている国だと隣国に知らしめるため。
日本の権威を隣国に見せつけるために当時、大国だった隋に「遣隋使」を派遣していたのです。
そして、もう一つは隋の文化を日本に取入れるためでもありました。
日本の隣国で最も文化が進んでいた隋。
その隋の文化を取り入れ、さらなる文化の発展を試みたのです。
「遣唐使」と「遣隋使」の違い
「遣唐使」と「遣隋使」は、派遣された時代に大きな違いがあります。
「遣唐使」は630年?894年。
「遣隋使」は600年?618年。
基本的にどちらも唐や隋の文化を学ぶために派遣されていました。
まとめ
以上のような違いが「遣唐使」と「遣隋使」にはあります。