この記事では、「丹念」と「丁寧」の違いを分かりやすく説明していきます。
「丹念」とは?
「丹念」は、真心という形で、事細かく気を配るという意味です。
「丹」というのが事細かく気を配ることを意味し、念は、思念というように自分の心にとめることを意味します。
よって、「丹念」とは、真心にて事細かく相手に気を配る行為を意味します。
「丁寧」とは?
「丁寧」は、いわば、作法のようなもので、気配りというよりは、自分をよく見せる行為そのものです。
よって意図的に自分のことをよく見せ、教養や躾がなっているかに装う行為自体を「丁寧」と言います。
なので、言い方が悪いんですが、その人の性格云々は置いておき、教養や躾が良いと相手が認識すれば、その行為自体が「丁寧な行為」になるのです。
よって、「丁寧語」というのは、自分をよく見せる作法で、かつ行為を意味し、自分が話す言葉が良く聞こえるという意味になります。
「丹念」と「丁寧」の違い
両者の違いは、真心という内面から相手に対して気配りという形で相手に接するか、形だけを装い、自分をよく見せようとするかという違いです。
「丹念」は、真心が垣間見えるので、教養や躾に関しては置いておき、相手に誠意が伝わることを目的としています。
逆に、「丁寧」は、外見が重視され、自分が良く見えればそれでよしで、相手を敬うという気配りはまた別の問題になります。
よって、気配りを重視が「丹念」で、見てくれの外見や自分をよく見せる行為が「丁寧」です。
「丹念」の例文
・『丹念に機を織る』
「丁寧」の例文
・『丁寧な文字を書き上げる』
まとめ
「丹念」は真心が重要で、自分の教養とか、自分が良く見えるようにするということは重要視しません。
だから、相手に真心が伝われば、相手からそれを好意であると解釈されます。
一方、「丁寧」は主に、自分をよく見せるだけで、言い方が本当に悪いんですが、自がきれいである書道の先生であってもそれは単に、「丁寧」な文字を記すことができるというだけで、先制自体の性格がとても悪い性格でもよく、生徒をえこひいきするような人物であっても「丁寧な先生」になるのです。
よって、「親切丁寧」という言葉が、「丹念」の言う真心を持つことを意味し、初めて「親切丁寧」という言葉になることで、「丁寧」はそこに真心が追加されます。