この記事では、「伺える」と「窺える」の違いを分かりやすく説明していきます。
「伺える」とは?
「伺える」とは相手の話を聞けることや相手の場所まで行けることを指します。
聞くや行く向かうの謙譲語にあたる伺うと可能動詞のえるを合わせた言葉です。
「伺える」という言葉を使う場合行動としては相手と会話したり相手と顔を合わせたりなど、相手と直接的に接触するような行動になります。
また「伺える」というのはこれからこういうことができるという意味の言葉なので、何かをするのはこれからであり「伺える」と発言した時点ではそれが指していることをしたわけではありません。
「窺える」とは?
「窺える」とは相手の様子を探れることや相手がどうなっているか推測できることです。
「窺える」という言葉は相手と直接会ったり会話したりはせず一方的に相手の様子を調べたり、手に入れた情報から間接的に相手がどのような状態なのかを考え予測するといった行動を取る時に使います。
またこれから調べることが可能という場合でも「窺える」といいますが、現在進行系で相手の様子推察できている場合にも使える言葉です。
「伺える」と「窺える」の違い
「伺える」と「窺える」の違いを、分かりやすく解説します。
相手の話を聞けたり相手の所に行けることが「伺える」で、相手の様子を探ったり推測できることが「窺える」です。
「伺える」は敬語ですが「窺える」は敬語ではありません。
「伺える」は相手と直接接触できますが、「窺える」は相手と接触せずに知ることができるという違いもあります。
また「伺える」は話を聞いたり相手の所に向かうのはこれからであり未来の行動を指しますが、「窺える」はこれからすることにも今している予測にも使える言葉です。
まとめ
読みこそ同じ言葉ですが「伺える」と「窺える」は全く別の言葉です。
「窺える」は一方的に相手のことを探って知ることができるという意味でもあるので、「伺える」と「窺える」を間違えると相手を不快にさせるかもしれないため注意が必要でしょう。