この記事では、「綺麗事」と「正論」の違いを分かりやすく説明していきます。
「綺麗事」とは?
現実を無視して表面だけを取り繕ったような意見という意味で、「みんなが頑張れば環境問題はなくなる」くらいの具体性がないものとであると綺麗事に近い部分があります。
実現していないことへの解決策はきれいごとになりやすい部分があると言えるでしょう。
例えば環境問題の対策はテクノロジーの積み重ねによるところが大きく、同等の明るさのLED電球を10時間つけているのと白熱電球を8時間つけた場合、1/8近くLEDの方が消費電力が少なく、こまめな電気の消灯で省エネ化というのはケースによっては綺麗事と取られても仕方ない部分もあります。
データを提示しないということも綺麗事になりやすい部分があると言えます。
「正論」とは?
道理を説く論について正しいものであると評価する呼び方とされますが、正しいものの実現できない意見などを指すことも多くなっています。
バスに乗り遅れた人に「もう3分早く出ればよかったんですよ」というのも正論と言える言葉ですが、それを言われたからと言ってどうしようもないタイミングもあります。
極論に近いものも正論と言われかねない部分があり、「環境問題は人間が滅べば無くなる」などは正論的な部分がある方向の極論、「自動車をすべて燃料電池車にすれば環境問題は改善する」という場合は数値的にはリアリティがあるものの2022年時点ではとても実現不可能という部分ところで正論ではあるもののというところではあります。
「こっちが正論を言ってあげてるのに」というような使い方では提示した解決策に乗ってくれない不満という使い方となります。
正論かどうかは結果が出ないとわからない面もありますが確率的なものもあります。
「綺麗事」と「正論」の違い
「綺麗事」と「正論」の違いを、分かりやすく解説します。
正論は本当に適切で正しい意見という意味もありますが、実現不可能な事を言うケースもあり、ここで綺麗事と比較しやすいものとなります。
実現不可能な「綺麗事」と「正論」では、綺麗事の方が具体性が少ないことを指すケースが多くなり、今すぐにでも実現できるような簡単さで重大な問題が解決できるようなことを言うことが多くなります。
正論は実際に正しい考え方でも偏りすぎていたり無理があったりするものを指す事が多く、「通勤時間の電車を2倍増発できればラッシュが半減する」などある部分正論ですが、現実には実現は不可能です。
現実のとらえ方によって正論や綺麗事を言うタイプになる人が発生すると言えます。
まとめ
「綺麗事」と「正論」どちらもできればいいと思わせる部分がある、結果は素晴らしいものであるという共通点はあるものの、綺麗事はデータすらない考えの問題だけで解決できるようなことを指し、正論は適切な意見ということもありますが時間がかかりすぎるものや、データを例示していても実現不可能ものということがあります。
適切な正論もあまりに人に指摘しすぎると嫌がられるものではあります。