議論をする際に使われる言葉に、「押し問答」と「水掛け論」があります。
「押し問答」と「水掛け論」にはどのような違いがあるのか紹介します。
押し問答とは?
押し問答とは、何か問題があった場合にお互いが自分の主張を曲げずに言い張ることをいいます。
何か議論をしていると意見が食い違うことは多いですが、双方が相手の意見を認めずに自分の主張だけをすると結論が出ないまま膠着状態に陥ってしまいます。
そこから議論が進まなくなる状況が押し問答です。
押し問答の「問答」は、元々仏教で使われていた言葉でした。
問答は簡単に言えば問うことと答えることで、禅問答のことを指しています。
禅問答は禅宗の修行の一つで、修行者が師に疑問を問いかけて師がそれに答えるというものです。
その後、仏教以外にも使われるようになりました。
それに付けられた「押し」は、「問答」を強調しています。
つまり、強調することでお互いが意見を強く主張していることを表しているのです。
押し問答は、意見を強く主張するだけなので言い争いという意味で使われているわけではありません。
ただし、議論が白熱して口論に発展することはあります。
押し問答の使い方
・彼と押し問答をした結果、不本意ながら自分が折れることにした。
・二人の押し問答が続いたので、周りはそれを見ているしかなかった。
水掛け論とは?
水掛け論とは、お互いに自分の意見を主張するばかりで全く進展しない議論のことをいいます。
水掛け論の語源は、「水掛婿」という狂言にあるといわれています。
この物語に登場する舅と婿は、田んぼに水を引く際にお互いが自分の田んぼから行いたいと主張して言い争います。
顔に水をかけあう事態になったことから、お互いが譲らずに意見を主張して解決できないことを水の掛け合いというようになりました。
「水掛婿」では、その後暴力を振るうところまで発展してしまいます。
そこから水掛け論という言葉が生まれました。
解決の見込みは全くないので、無駄な議論という意味で使われています。
水掛け論の使い方
・今回の会議は水掛け論になってしまったので、しばらく結論を出すのは難しいと思う。
・水掛け論を続けてもあまり意味がないので、今日はこれでおしまいにしよう。
押し問答と水掛け論の違い
押し問答と水掛け論は、どちらも自分の主張を言い張り譲らないことをいいます。
押し問答の場合には、自分の意見を受け入れてほしいという気持ちがあります。
そういう気持ちがあるからこそ押し問答に発展するのです。
水掛け論の場合には、そういったニュアンスはありません。
ただ、自分の意見を主張しているだけです。
そのためどちらかというと水掛け論よりも押し問答の方が、解決の糸口が見えていると考えられます。
まとめ
押し問答と水掛け論の違いは、自分の意見を受け入れてほしい気持ちが見えるかどうかです。
そういった気持ちがあるのが押し問答で、そういった気持ちがないのが水掛け論です。