「意見の批判」や「人格の否定」をされて、気分がよいものではありません。
この記事では、「意見の批判」と「人格の否定」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。
意見の批判と人格の否定の違い
「意見の批判」は、ある物事のに対する考えや主張を批判することです。
よい意味ではなく、欠点や誤りを指摘することを意味します。
「人格の否定」は、その人の人間性やその人固有のあり方を認めないことです。
まず、「意見」と「人格」は別のものです。
「意見」は、その人がある物事に対して持っている考え方や主張のことを指します。
そのように考えるからといって、その人が意見そのものではありません。
「人格」は、その人の人間性のことです。
「批判」と「否定」も違う意味を持っています。
「批判」は、人の発言、行動などの誤りや欠点を指摘して、正すべきだと諭すことを意味します。
「否定」は、そうでないと認めないことです。
欠点があっても「そういうこともあるか」と認めることはできるので、「批判」には認めないという意味は含まれていません。
「否定」は欠点があるなしにかかわらず、認めないことです。
「意見の批判」は、ある人の考えや主張に誤りがある、欠点があるとしてそれを指摘し、正すべきと諭すことを意味します。
「人格の否定」は、その人自身のあり方を認めないことです。
意見の批判と人格の否定の使い方の違い
「意見の批判」は、日常的にも行われています。
ある人の発言が問題になり、テレビではさまざまな人たちがそれに対しての意見を述べています。
その中には、誤りを指摘しているものもみられます。
「人格の否定」は公にはされませんが、学校、職場、家庭などで行われていることがあります。
公にはしたくないことなので、「人格の否定」をした側がこの言葉を使うことは少なく、された側が訴えるときに使うことがあります。
意見の批判と人格の否定の英語表記の違い
「意見を批判する」は英語で“criticize an opinion”と表現します。
“criticize”は批判するという動詞、“opinion”は意見という名詞です。
「人格の否定」は英語で“denial of personality”と表現します。
“denial”は拒否、否定を意味する名詞、“personality”は性格、人格を意味する名詞です。
意見の批判の意味
「意見の批判」とは、ある物事に対する考えや主張の誤りや欠点を指摘し、正すべきだと諭すことです。
現在の日本では、「意見」を自由に発言できる環境が整ってきています。
そのため、多くの人が好きなことを発言できます。
しかし、その発言が問題になり、さまざまな人が批判することがあります。
身近なところでいえば、情報番組で活発な発言のやり取りがされ、その発言の中には、ある人の考えや主張の誤りや欠点を指摘しているものがあります。
意見の批判の使い方
日常的に使われる言葉です。
ある人のある物事に対する考えや主張を誤りである、欠点があると指摘することは、日常的に珍しいことではありません。
意見の批判を使った例文
・『多くの人が意見の批判をしている』
・『意見の批判を恐れて発言ができない』
・『意見の批判をされてしまった』
・『あの人は意見の批判ばかりしている』
・『意見の批判をされて傷ついた』
意見の批判の類語
類語は「意見の非難」です。
「非難」とは、誤りや欠点を取り上げて責めることを意味します。
意見の批判の対義語
「意見への賛同」が対義語になります。
「賛同」とは、意見や提案などに賛成することを意味します。
人格の否定の意味
「人格の否定」とは、ある人のあり方をそうでないとすることです。
「人格」は、その人の人間性やあり方のことを意味し、「批判」は、そうでないと認めないことを意味します。
「人格」はその人そのものです。
それを認めないのです。
「あなたはいつも仕事が遅い」「あなたは片付けができない人ね」こういった発言は人格を否定しています。
人格の否定の使い方
「人格の否定」は職場や家庭などで行われていることが珍しくありませんが、公にすることはあまりありません。
「人格の否定」をされた側はよい気持がせず、「人格の否定」は悪い意味で使われることがあります。
そのため、「人格に否定」が行われていても公にはしたくないのです。
人格の否定を使った例文
・『人格の否定をするような発言は慎んでください』
・『人格の否定をされて大きなショックを受けた』
・『その発言は人格の否定です』
・『人格の否定がトラウマになっている』
・『何気なく人格の否定をしていませんか』
人格の否定の類語
類語は「人格の否認」です。
「否認」には、認めないという意味があります。
人格の否定の対義語
「人格の肯定」が対義語です。
「肯定」には、そうであると認めることという意味があります。
まとめ
「意見」と「人格」は別のもので、「批判」と「否定」は別の行為です。
そのため、「意見の批判」と「人格の否定」は意味が異なります。