この記事では、「遠慮深い」と「恭しい」の違いを分かりやすく説明していきます。
「遠慮深い」とは?
上記は、様子を指す言葉で相手方に気を使って敬意を示すことで気を遣う方法が遠慮という方法によって気を使います。
よって、「遠慮深い」は、礼儀作法において相手に気を使って遠慮をすることを礼儀作法であると考えます。
なお、「遠慮深い」は、相手側に厚意がある必要性は無いので言い方が悪いのですが、相手側が邪見に対象を扱っていても相手が遠慮をしている場合、「遠慮深い」で控えめな人物であると言えるのです。
「恭しい」とは?
上記の言葉は、前面に相手を敬う気持ちが表れたうえで遠慮するという意味です。
なので、この言葉が成立するのは、端から相手側が厚意を見せていようといまいと相手を敬う気持ちがある場合、この言葉が成立します。
逆に相手のことを敬う必要性は無いなと感じていて形だけ遠慮をするというのは、「遠慮深い」になります。
「遠慮深い」と「恭しい」の違い
両者の違いは態度の中に相手を敬う気持ちがあるかないかです。
「遠慮深い」は、別に相手のことを敬う気持ちがなくとも成立し、言ってしまえば形だけ遠慮すれば成立しますが、「恭しい」は、態度の中に相手を敬う気持ちが前面に出ていないと成立しません。
「遠慮深い」の例文
・『課長は遠慮深い人だ』
この例は課長は、気を遣う人物であると述べた例です。
なので、課長と言われる人物は別に第3者に対して敬うという気持ちがあるかどうかは別として気を遣うことができる人間ではあると述べています。
ただ、部長本人は実は人と関わりたくないがゆえ、遠慮している風に装っている可能性も実は否定できません。
「恭しい」の例文
・『恭しい態度が前面に出ていて感心する』
この例は、相手を敬う気持ちが前面に押し出されているがゆえ、気配りのほか相手に敬意を払う行動ができており感心をするという例です。
「恭しい」は態度で示す行為で、示す行為は、相手を敬う気持ちです。
まとめ
「遠慮深い」については、実のところ遠慮というものが人と関わりたくないがゆえ、他者の間に割って入らないことも「遠慮深い」と言います。
なので、実は遠慮をしているのではなく、あえてかかわらないという選択を持っているだけでも「遠慮深い」です。
一方、「恭しい」は、相手に気遣いを見せている必要性があり、態度で全面的に行動を示すため、相手側が自分に対して向けられている行為が本物であると認識して初めて「恭しい」と呼びます。
よって、「恭しい」は、相手側が納得して自分はこんなにも大切にされている、気を使ってもらえているということを実感していないと成立しません。
これは、厚意を受ける側の認識力によっても「遠慮深い」になるか、「恭しい」と感じるかという問題になるので両者は、あくまで厚意を受ける側にあり、好意を受ける側がどう感じたかが「遠慮深い」か「恭しい」のどちらかを感じ取るのです。