「譜代大名」と「外様大名」の違いとは?分かりやすく解釈

「譜代大名」と「外様大名」の違い専門用語・業界用語

徳川家康が開いた江戸幕府、幕藩体制の肝となったのが各藩を治める大名です。

大名はある基準で幾つかに分類する事ができます。

この記事では、「譜代大名」「外様大名」の違いを分かりやすく説明していきます。

「譜代大名」とは?

江戸幕府による幕藩体制が築かれる前から徳川家に臣従してきた御家がそれに該当します。

有名なのは徳川四天王である酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政の各家でしょう。

家康が関ヶ原の合戦を制した事で旗本から成り上がった大名も多いのが特徴だと言えます。


「外様大名」とは?

基本的に徳川家以外の戦国大名が「外様大名」に該当します。

かつての教材では関ヶ原の合戦以降に徳川家の傘下に与した大名と記述された事もありますが、これは正解ではありません。


「譜代大名」と「外様大名」の違い

「譜代大名」はいわゆる徳川家臣団の発展形と考えていいでしょう。

家康を守っていた各地の旗本が戦勝による恩賞を受け1万石以上の大名へ成り上がったのが「譜代大名」です。

「外様大名」は徳川家との友好度は関係なく幕藩体制が成立時に戦国大名だった御家は全て該当します。

「譜代大名」の解説

・『親藩大名とは?譜代と何処が違う?』
「譜代大名」より徳川幕府に近いポジションなのが親藩大名だと言っていいでしょう。

徳川家の直系一門と分家を指したものです。

御三家・紀州、尾張、水戸が有名です。

後に最後の将軍慶喜を輩出した一橋、田安、清水は御三卿と呼ばれ別格の扱いを受けました。

・『親藩大名に準ずる扱いの願い譜代とは?』
願い譜代は「外様大名」の中で願い出て「譜代大名」扱いになった者を言います。

幕閣において功績を挙げた者がこの扱いを受けることが多いと言えるでしょう。

知名度の高い大名では藤堂高虎、真田信之、池田輝政、仙石秀久らの名前を確認する事ができます。

「外様大名」の解説

・『外様大名間による格差問題とは?』
「外様大名」間でも親藩扱いを受けた大名は多く存在します。

例えば漫画の主人公として知名度を上げたセンゴクの仙石秀久はその代表格でしょう。

また伊達政宗や池田輝政も同様です。

彼らは願い譜代として江戸城本丸の帝鑑の間で待機していました。

・『親藩扱いの「外様大名」が幕閣で果たした役割とは?』
「外様大名」でも前述した通り譜代大名に準ずる家格を受けた大名は潜在的敵となり得る外様大名を監視する役割を務めています。

長州藩の毛利家の監視として小倉藩に細川家を配置するなどの措置が行われました。

福島正則の改易の理由である城の改築の件には黒田家からの報告が幕府に提出されています。

まとめ

学生時代の教科書の記述から間違えた認識を「譜代大名」「外様大名」に抱いている人は多いと思われます。

「譜代大名」はシンプルに家康の家臣団が領土の拡大により旗本から発展し大名になったものでした。

「外様大名」は幕藩体制確立時に戦国大名として残っていたものです。