この記事では、「国風文化」と「天平文化」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「国風文化」とは?
「国風文化」は「こくふうぶんか」と読みます。
「国風文化」は、「平安中期から後期にかけて栄えた、温雅な日本風の貴族文化」という意味があります。
例えば、仮名文字が生まれたのもこの時代になります。
また建築の世界では、貴族の住宅様式である「寝殿造(しんでんづくり)」が誕生します。
中央に寝殿と呼ばれる母屋があり、その東、西、北に、それぞれ対屋を設け、渡殿で結び、屋根は檜皮葺で、入母屋造となっています。
白砂を敷いた前庭に池があるなど、いかにも貴族の家という優雅さがあります。
さらに、「大和絵(やまとえ)」という日本の風景や風俗を描いた絵画も生まれています。
中国風の絵画を意味する「唐絵(からえ)」に対する呼称で、『源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)』などが描かれています。
このように、貴族が生んだ、穏やかで上品な日本らしい文化のことを「国風文化」と呼びます。
「天平文化」とは?
「天平文化」は「てんぴょうぶんか」と読みます。
「天平文化」は「天平年間(729年から749年)を中心にして栄えた文化で、唐や西方地方の影響を強く受けたもので、仏教美術の黄金時代を作り上げたもの」という意味があります。
天平は奈良時代にあたり、都である平城京は現在の奈良県にありました。
この時代の政策は「鎮護国家(ちんごこっか)」と呼ばれ、仏教によって国家を鎮め守ることというテーマがありました。
「法華経」「仁王般若経」などの経典読誦や修法を行い、同時にたくさんの寺院、仏教美術が作られています。
そのため、今でも奈良県を観光するときに、たくさんの「天平文化」が生んだ仏教美術を見ることができます。
例えば、『東大寺法華堂』に納められている仏像や、『正倉院』の御物、さらに、『東大寺』や『興福寺』、『薬師寺』などの寺院の多くが、この時代に作られています。
「国風文化」と「天平文化」の違い
「国風文化」と「天平文化」の違いを、分かりやすく解説します。
「国風文化」は、「平安中期から後期にかけて栄えた、温雅な日本風の貴族文化」という意味があります。
「天平文化」は「天平年間を中心にして栄えた文化で、唐や西方地方の影響を強く受けたもので、仏教美術の黄金時代を作り上げたもの」という意味があります。
「国風文化」は平安時代の文化で、「天平文化」は、奈良時代の文化という時代の違いがあります。
また「国風文化」は、貴族が生んだ日本風の文化なのに対して、「天平文化」は、唐の影響が強い、仏教文化という違いがあります。
まとめ
「国風文化」と「天平文化」の違いについて見てきました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、奈良・平安時代の日本の様子が透けて見えるのではないでしょうか。