この記事では、「防人」と「大宰府」の違いを分かりやすく説明していきます。
「防人」とは?
防人(さきもり)とは、九州の沿岸に配属された兵士のこと。
奈良時代に防衛部隊として活躍していた、一般の人たちをいいます。
もともと防人が作られたのは、663年の白村江の戦いが終わってからのことです。
白村江の戦いでは日本は百済と手をむすんで、唐や新羅を倒そうとしました。
けれども満を持した戦は、やがて失敗に終わります。
このまま日本の領土が奪われてはいけないと、九州沿岸の守りを固めるために結成されたのが防人です。
防人は3年で交代となっていましたが、食料などを自分で見繕わなければならず、その実態は大変なものだったようです。
万葉集には出稼ぎとして集められた、防人たちの悲痛な思いがいくつも残っています。
「大宰府」とは?
大宰府(だざいふ)とは、九州にある大きな行政機関のこと。
外交と九州地方の管轄のためにおかれた、大きな役所です。
たくさんの役人が働いていて、薬を調剤する所、学びをおこなう場所、馬を留めておく長屋など、ひとつの街としての趣を呈していました。
大きな力を得て繁栄したことから、奈良の都から離れていても栄えているという意味の「遠の朝廷(とおのみかど)」という言葉も生まれました。
大宰府という語句には「天皇のお導きをうけて生まれた役所」という意味もあります。
時代が進むにつれて、大宰府は「迎賓館」としての役割もになうようになります。
そのため海外からの要人をもてなすための施設「鴻臚館」も建設されるようになりました。
九州地方の歴史を語る上で、欠かせない政所です。
「防人」と「大宰府」の違い
「防人」と「大宰府」の違いを、分かりやすく解説します。
・大宰府が管轄した防人
大宰府は九州の備前の国につくられた、大きな役所のことです。
学問の神様として有名な菅原道真は、晩年に大宰府で過ごしていたという歴史ものこっています。
大宰府は地方の行政機関として、大きく繁栄していました。
多くの役人が働いていたため、実務ごとにいくつかの司を置いていました。
そのうちのひとつに「防人司」があり、各地から集められた防人の管理や育成、監視をおこなっていました。
まとめると大宰府という地方行政機関の管理下におかれていたのが防人です。
防人はおもに20~60歳までの男性で、九州沿岸の警備の仕事をおこなっていました。
徴兵制だったので選ばれた人は義務として、防人の職をこなしていたようです。
大宰府の役人が見ているなかで、防護柵の建設や訓練に従事しなけれならず、その職務は過酷なものでした。
まとめ
「防人」と「大宰府」の違いを分かりやすくお伝えしました。
防人は九州沿岸の警備隊のこと。
白村江の戦いで敗れたあと、唐の侵攻を防ぐために置かれた兵士です。
そして大宰府は防人を管理した、九州の地方行政機関です。
奈良時代の歴史をおさらいし、学びを深めていきましょう。