この記事では、「土一揆」と「百姓一揆」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「土一揆」とは?
「土一揆」は「つちいっき」または「どいっき」と読みます。
「徳政一揆(とくせいいっき)」という別名もあります。
「土一揆」は、「室町中期に、畿内を中心に頻発した、農民と地侍の武装蜂起のこと」という意味があります。
畿内とは、現在の関西地方を指します。
室町時代の中ごろに、農民と地侍が、年貢の減免や徳政を要求して、荘園領主や守護大名、酒屋・土倉などの高利貸しと武力で争いました。
ちなみに「徳政(とくせい)」は、年貢の免除などを指す言葉です。
この当時は、農民たちが「惣(そう)」という農民による自治的な組織が誕生していました。
「惣」が誕生すると、それまでは領主や大名の言いなりだった農民が、政治的な要求を行うようになり、「一揆」という連帯組織を作るようになります。
この「一揆」による、領主らに対する政治的要求を、「土一揆」と呼ぶようになります。
「土一揆」という名前は、この当時の農民を、「土民(どみん)」と称していたことに由来します。
「土一揆」の要求はほとんどの場合、「徳政の実施」だったとされ、免税を求める「徳政一揆」と呼ばれることもあります。
「百姓一揆」とは?
「百姓一揆」は「ひゃくしょういっき」と読みます。
「百姓一揆」は、「江戸時代に、農民が領主や代官に対して、集団で反抗した運動や暴動のこと」という意味があります。
江戸時代の領主や代官は、「悪代官(あくだいかん)」という言葉があるように、悪政を敷いたり、過重な年貢を農民に課すことが度々ありました。
これに起こった農民が、暴動や強訴、越訴、逃散、打ち毀しなどの形を取り、反抗しました。
「強訴(ごうそ)」には、農民が領主に対して年貢減免などを要求することという意味があり、「越訴(おっそ)」には、管轄の役人を越えて、上級の役人に提訴することを指します。
また「逃散(ちょうさん)」には、領主への対抗手段として、村をあげて耕作を放棄し、山野や他の領地に逃亡することを指します。
さらに「打ち毀し」には、集団で豪商や金貸しなどの家屋を破壊し、米や銀などを奪ったことを指します。
「土一揆」と「百姓一揆」の違い
「土一揆」と「百姓一揆」の違いを、分かりやすく解説します。
「土一揆」と「百姓一揆」は、どちらも農民による武力蜂起などを意味する言葉という共通点があります。
ただし、「土一揆」は室町時代に起こった一揆を指す言葉なのに対して、「百姓一揆」は、江戸時代の一揆を指す言葉という違いがあります。
まとめ
「土一揆」と「百姓一揆」の違いについて見てきました。
2つの言葉の意味と違いを知ることで、室町時代、江戸時代の農民の姿が透けて見えてくるかもしれません。