この記事では、「土一揆」と「国一揆」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「土一揆」とは?
「土一揆」は「つちいっき」または「どいっき」と読みます。
「土一揆」には、「室町中期に、畿内を中心に頻発した、農民と地侍の武装蜂起のこと」という意味があります。
年貢の減免や徳政を求める農民と地侍が、荘園領主や守護大名、酒屋・土倉などの高利貸しと武力で争いました。
「徳政(とくせい)」は、年貢の免除などを指す言葉で、「土一揆」の目的のほとんどは、徳政だと言われているため、「徳政一揆(とくせいいっき)」という別名もあります。
この時代に覇、「惣(そう)」という農民たちによる自治的な組織が生まれていて、領主や大名の言いなりだった農民が、政治的な要求を行うようになりました。
農民が「一揆」という連帯組織を作り、領主らに対する政治的要求を行ったため、「土一揆」と呼ぶようになります。
「土」という文字は、この当時の農民を、「土民(どみん)」と称していたことに由来します。
「国一揆」とは?
「国一揆」は「くにいっき」と読みます。
「国一揆」は「室町時代に、国衆・国人と呼ばれていた小領主や農民が、荘園領主や守護に抵抗して、一郡ないし、数群の規模で起こした一揆のこと」という意味があります。
ちなみに「国衆(くにしゅう)」は、「中世、守護大名の領地に土着していた地侍や有力農民のこと」を意味し、「国人(こくじん)」は、有力名主層を指す言葉になります。
「国一揆」のひとつに「山城国一揆(やましろのくにいっき)」があります。
1485年に現在の京都・山城国で、国人や農民が協力して、守護大名・畠山氏の政治的影響力を排除し、その後8年間、自治を行ったことを指します。
畠山氏は跡目争いを繰り広げ、国人や農民は疲弊したことが原因となります。
国人衆と農民が宇治『平等院』に集まり、話し合いをします。
この時、畠山氏の影響を排除して、自治を行うことを決めました。
このように、「国一揆」は、国衆や国人、農民が、守護勢力に対抗して起こしたものなどが挙げられます。
「土一揆」と「国一揆」の違い
「土一揆」と「国一揆」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも室町時代に起こった「一揆」を意味する言葉という共通点があります。
ただし「土一揆」は、農民や地侍が、守護大名や領主に対し、主に税の免除を求めて起こした一揆なのに対して、「国一揆」は、国衆、国人、農民らが郡単位で団結し、守護大名の影響力を排除することなどを目的とした一揆という違いがあります。
このように、農民が起こした一揆が「土一揆」で、国衆や国人が起こした一揆が「国一揆」という違いがあります。
まとめ
「土一揆」と「国一揆」の違いについて見てきました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、室町時代の一気についての理解が深まるかもしれません。