この記事では、「欧化政策」と「文明開化」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「欧化政策」とは?
「欧化政策」は「おうかせいさく」と読みます。
「欧化政策」は「1880年代に、明治政策が近代化を進めるため、文化や制度、風俗や習慣を、ヨーロッパ風にしようとした政策のこと」という意味があります。
日本をヨーロッパ風に近代化することによって、欧米諸国に認めてもらおうとする狙いがありました。
それ以前の幕末時期に、幕府は諸外国と「安政の5か国条約」などの不平等条約を結んでいました。
一方的に日本に不利な条約だったため、それを何とか平等な条約に改正したいと思った明治政府が取り組んだ政策になります。
日本の文化をヨーロッパ風にすることで、諸外国が国際法の適用対象としてみなす、文明国だと認めさせる狙いがありました。
その一つが「鹿鳴館(ろくめいかん)」で、外交団を招き、夜会を開いたと言います。
また挫折したものの、日比谷にプロシア風の大規模な官庁街を建設する「官庁集中計画」などが打ち立てられています。
「文明開化」とは?
「文明開化」は「ぶんめいかいか」と読みます。
「文明開化」は、「明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣、文化などが、大きく変化した現象」という意味があります。
その当時の日本は、近代化した国として欧米諸国に認められていなかったため、近代化=西欧化と考えて、「欧化政策」を進めていました。
その結果、文化や制度、風俗や習慣が、ヨーロッパ風になるという現象が起こります。
この時代を象徴する言葉として、「散切り頭をたたいてみれば、文明開化の音がする」という言葉があります。
「散切り頭」は、これまで髷を結っていた日本人が、西欧風の髪形になったことを指します。
他にも、着物が洋装になったり、洋食が推奨されるなどして、現在の日本の様子に一気に近づいています。
「欧化政策」と「文明開化」の違い
「欧化政策」と「文明開化」の違いを、分かりやすく解説します。
「欧化政策」は「明治政策が近代化を進めるため、文化や制度、風俗や習慣を、ヨーロッパ風にしようとした政策のこと」という意味があります。
一方で「文明開化」は、「明治時代の日本に西洋の文明が入ってきて、制度や習慣、文化などが、大きく変化した現象」という意味があります。
近代国家として認められたい日本の明治政府が、ヨーロッパ風に生まれ変わろうとしたのが「欧化政策」で、その政策の結果、江戸時代の風俗、文化が、ヨーロッパ風に大きく生まれ変わろうとした現象を「文明開化」と呼ぶという違いがあります。
端的に言えば、「欧化政策」は「政策」で、「文明開化」は、「現象」を意味するという違いがあります。
まとめ
「欧化政策」と「文明開化」の違いについて見てきました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、明治初頭の日本の様子を想像しやすくなるかもしれません。