「未必の故意」と「認識ある過失」の違いとは?分かりやすく解釈

「未必の故意」と「認識ある過失」の違い生活・教育

この記事では、「未必の故意」「認識ある過失」の違いを分かりやすく説明していきます。

「未必の故意」とは?

「未必の故意」とは状況的に事故や犯罪が起こり得ると認識している上で、自分からそうした事故や犯罪を起こすつもりはないけれど、起きてしまっても構わないと見過ごすことです。

たとえば車の運転中に道路横で子供が遊んでいて道路に飛び出してくるかも知れないという場合、勿論轢きに行くつもりはないけれど、道路に飛び出してきても避けなくていいかと考え、実際に飛び出してきて轢いてしまったら、それは「未必の故意」になります。

「未必の故意」は最初から害意があったわけではありません。

ですが裁判や事件の加害者としては害意がある故意犯として扱われ、罪が重くなります。

「未必の故意」だと断定するには、そうした事故や事件、犯罪が起きても構わないと思っていた証拠が必要です。


「認識ある過失」とは?

「認識ある過失」とは、事故や犯罪に繋がり得る状況だと認識している上で、そうなる可能性はあるけど問題ないだろうと思って見過ごすことです。

先の例と同じように、車の運転中に道路横で子供が遊んでいるのを目にした場合、飛び出してきたら轢いてしまうかも知れないけど、自分が通り過ぎるタイミングで偶然飛び出してくるようなことはないだろうと考えて走っていたら、本当に飛び出してきて轢いてしまったら、「認識ある過失」になります。

故意ではないので罪は軽くなりますが、そうなり得ると認識した時点で、そうなっても大丈夫なように対応しなければいけません。

なので認識していない過失と比べると罪が重くなることも多いです。

完全な故意ではないとわかっているような事件が起きて、そうなっても構わないと考えていたか、そうはならないだろうと考えていたか判断がつかない場合、その多くが「認識ある過失」として扱われます。


「未必の故意」と「認識ある過失」の違い

「未必の故意」「認識ある過失」の違いを、分かりやすく解説します。

事故や犯罪が起こる可能性を認識した上で、わざと起こすつもりはなくても起きてもいいと考え見過ごして実現してしまった場合が「未必の故意」で、可能性はあるけどそうはならないだろうと考えていたのに実現してしまった場合が「認識ある過失」です。

「未必の故意」は故意犯として扱われるので罪が重くなり、「認識ある過失」は過失犯として扱われ比較的罪は軽く済みます。

そうなっても構わないと認識していた物的あるいは状況的証拠があれば「未必の故意」になりますが、そうした証拠がない場合は、「認識ある過失」として扱われるケースが多いです。

まとめ

どちらも事故や事件に繋がりかねないと認識しているのは同じですが、そういったことが起きようと知ったことではないと考えているか、そもそも起きないだろうと楽観視しているかで「未必の故意」「認識ある過失」かが変わります。

とは言え思考という頭の中で見えないものに左右されるので、どちらだったのかの判断は非常に難しいものです。