この記事では、「町衆」と「惣」の違いを分かりやすく説明していきます。
2つの言葉には、どのような意味と違いがあるでしょうか。
「町衆」とは?
「町衆」は「まちしゅう」と読みます。
ただし、かつては「ちょうしゅう」と発音されていました。
「町衆」は「室町時代から戦国時代にかけて、土倉などの裕福な商工業者のこと」という意味があります。
ちなみに「土倉(どそう)」とは「金融業者のことで、現在の質屋のように物品を質草にして、その質草に相当する金額を高利で貸与するもの」という意味があります。
京都やその周辺に「土倉」が多く、「町衆」が多かったことが分かります。
室町時代末期に「応仁の乱」が起こり、京都が荒れ果てます。
この時の京都復興において、自治と団結を進めて、文化を作ったのが「町衆」と言われています。
また「町衆」は、主に法華経を進行していたとされ、本山が織田信長終焉の地として有名な「本能寺」になります。
「町衆」は江戸時代に江戸文化を作り上げた、「町人」の原点とされています。
「惣」とは?
惣」は「そう」と読みます。
「惣村(そうそん)」と呼ぶこともあります。
「惣」は、「室町時代の農村の自治組織のこと」という意味があります。
「惣」では、田畑の所有者である「名主(みょうしゅ)」の中から選ばれた、有力な名主を意味する「乙名(おとな)」、「年寄(としより)」、年貢の徴収などをつかさどる、下級荘官「沙汰人(さたにん)」などを中心にして、寄り合いによって掟を定めて、入会地や、加害用水などの共同管理や、灌漑用水などの共同管理、年貢納入の請負をしました。
このような「惣村」が、複数結合した場合「惣荘(そうしょう)」、「惣郷(そうごう)」が形成され、さらに農民の団結力や自立の傾向が強く、関西地方にこのような組織が多くできたとされています。
また「惣」は、支配者に対して要求活動を行う場合があり、この時、「一揆(いっき)」を結成し、時には破壊活動も行いました。
「惣」による「一揆」を「土一揆(つちいっき)と呼びます。
「町衆」と「惣」の違い
「町衆」と「惣」の違いを、分かりやすく解説します。
「町衆」は「室町時代から戦国時代にかけて、土倉などの裕福な商工業者のこと」という意味があります。
一方で、「惣」は、「室町時代の農村の自治組織のこと」という意味があります。
このように、「町衆」は、金融機関を行う裕福な商人のことを指す言葉なのに対して、「惣」は、農民の自治組織を意味する言葉という違いがあります。
「町衆」は、商人や町民についての言葉なのに対して、「惣」は農民についての言葉という違いがあります。
まとめ
「町衆」と「惣」の違いについて見てきました。
2つの言葉には明確な意味の違いがありました。
2つの言葉の意味の違いを知ることで、混同せずに使い分けることができるようになりそうです。