この記事では、「畏怖」と「恐怖」と「不安」の違いを分かりやすく説明していきます。
「畏怖」とは?
いふと読み、恐れおののくことという意味と、偉大な人に対して畏まって敬うという意味がある言葉で、「自然に対して畏怖の念を抱く」という言葉では自然災害の恐ろしさに恐れおののく部分と自然に対して敬うという意味の両方が含まれていると言えるでしょう。
非常に偉大なもの、個人では対処できない力などが畏怖の対象となっており、使い方によっては「神業」のような意味合いに持っていくことも可能です。
現在、過去、未来で使うことができる言葉で将来畏怖する事になるだろうという使い方や、昔人々が畏怖したなどの使い方があります。
畏怖するのは恐れおののくという意味では動物でも可能ですが、偉大なもの同しようもないほどの力に畏まって敬うという概念は非常に人間的なものと言えるでしょう。
「恐怖」とは?
怖いと思うこと、おそれに感じることなどで、基本的には避けられるものですが、怪談や心霊現象、ジェットコースターなどは恐怖を楽しむジャンルとも言える部分があります。
強い恐怖、非常に恐怖するなどの強調した使い方も可能で、恐怖が止まらないという現象は恐怖の原因が終わった、そこから離れた状態であっても頭に印象が強く残ってしまい、恐怖から解放されていない状態を指します。
恐怖症という言葉は一般の人の多くが恐怖に思わないことを恐怖に感じてしまうことで、閉所恐怖症、ピエロ恐怖症などが挙げられます。
恐怖という対象に関しては恐怖の発生源そのものへの敬意を抱くケースはまずありません。
「不安」とは
気がかりなことがあって、落ち着かなず、安らぎが得られない心の状態を指す言葉で、新しい物事を始めるときにうまくできなかったらどうしようと思うことや、頼んだ通販がなかなか届かないときなどが不安になるケースと言えます。
不安は楽しむジャンルではないと言えますが、週刊連載作品などでは不安なまま来週へ続くという展開になることはあります。
とは言え最終的に勝利するまでの経緯の不安という方が近く、常に続いていく不安を娯楽にするというケースはあまり一般的ではありません。
日常の些細なことでも不安に感じてしまう場合は心療内科などに相談するのも良いでしょう。
不安の対象は敬意を抱いていることもありえます。
「畏怖」と「恐怖」と「不安」の違い
敬意を抱いている事がありえるのが畏怖、敬意を抱いている相手に失礼なことをしてしまわないかと落ち着かないのが不安、敬意は感じずただただ恐ろしいのが恐怖ということができます。
また、日常において不安と恐怖は無くすことが理想ですが、畏怖は無くすことは考えられていません。
最も広い範囲で発生するのが不安、ついで恐怖と言えるでしょう。
まとめ
「畏怖」と「恐怖」と「不安」は対象への敬意があるか、または対象が圧倒的な力があるかそれとも日常に常にあるものかなどで異なっています。
恐怖は娯楽として存在している点も特徴です。