「気配り」と「気遣い」の違いとは?使い方や例文も徹底的に解釈

「気配り」と「気遣い」の違い生活・教育

この記事では、「気配り」「気遣い」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。

気配りと気遣いの違い

「気配り」とは、あれやこれやと気を遣うことです。

「気を遣う」とは、注意を払って心を働かせることを意味します。

「気遣い」とは、あれやこれやと気を遣うことです。

「気配り」「気遣い」は、基本的な意味は同じになります。

しかし、「気遣い」は心配の意味で使われることもあります。

気にかかって不安に思うことも「気遣い」というのです。

例としては、「人に不審がられる気遣いはない」などがあります。


気配りと気遣いの使い方の違い

どちらも同じ意味を持っているので、使い方は同じです。

あれこれ気を遣うこと、配慮のことを意味していて、そういった場面で使われています。

大きなイベントのときには、大勢の人たちが押し寄せるため、トラブルがないとは限りません。

このようなとき、トラブルが起きないように会場の設営には細心の注意を払います。

会場の設営に配慮している、つまり「気配り」「気遣い」ということになります。


気配りと気遣いの英語表記の違い

「気配り」は英語で“attention”“care”と表記します。

“attention”は注意とも訳されることがあり、日本語の「気配り」とはややニュアンスが異なるかもしれませんが、「気配り」に近い意味を持っている英語です。

“care”はお手入れや心配と訳されることもあります。

「気遣い」は英語で“care”と表記します。

「気遣い」には、心配の気持ちが含まれているからです。

気配りの意味

「気配り」とは、あれやこれやと気を遣うことを意味します。

相手のことを思い、よいようにという配慮の意味が含まれています。

「気」とは、あれこれ考える心の働きや気持ちのことを意味します。

「配る」は、配慮や注意を行きわたらせることです。

つまり、「気配り」は相手によいようにと考える心の働きや配慮のことを意味しています。

気配りの使い方

相手のことを思って心を働かせることについて使われる言葉です。

「気配りができる人」といいますが、そういわれる人は周りの雰囲気を感じ取って言葉を選ぶ、相手の立場を考える、自分で考えて行動するといった特徴があります。

こういった行動は、相手のことを考えて不快な思いをさせないようにと思っての行動です。

このように心を働かせることについて「気配り」という言葉を使います。

気配りを使った例文

・『もっと気配りして欲しい』

・『気配りができると評判の人』

・『明日の準備に気配りする』

・『日本のサービスは気配りが行き届いている』

・『気配りするように意識する』

気配りの類語

類語は「配慮」「気遣い」です。

「配慮」とは、心をくばることを意味します。

「くばる」にはいくつかの意味がありますが、「配慮」が意味する「くばる」とは、物質が行きわたるように割り当てることではなく、配慮や心遣いを行きわたらせることです。

気配りの対義語

ピッタリとあてはまる対義語ではありませんが、「無神経」「気配り」の対義語に近い言葉です。

「無神経」とは、他人の気持ちに配慮しないことを意味します。

気遣いの意味

「気遣い」とは、あれやこれやと気を遣うことです。

「気遣い」はひらがなでは「きづかい」と表記します。

気をつかうことを意味するので「ず」ではなく「づ」です。

「つかい」の字は「使い」もありますが、「きづかい」というときには「遣い」で表記します。

「使う」は、人、物、お金などに関係すること、「遣い」は、心や気に関係することで使用します。

「気遣い」は心を働かせることなので「遣い」の文字です。

「気遣い」は、心配の意味でも使われます。

情報が漏れるのではないか、人に怪しまれるのではないか、こういったことを心配するときも「気遣い」です。

気遣いの使い方

あれこれ気を遣うことに関して使われる言葉です。

相手によいように心を働かせることについて使用します。

知り合いの家に招かれたときなど、「お気遣いなく」という言葉をかけることがあります。

招いた側が訪問してくれた人に対して、お茶やお菓子を出したりします。

これは、訪問してくれた人によいようにという気を使っての行為です。

こういった場合に「気遣い」という言葉が使われます。

気遣いを使った例文

・『気遣いばかりしていると疲れる』

・『大切な試験があるから準備に気遣いする』

・『バイト先では気遣いばかりだ』

・『気遣いがすばらしい人』

・『気遣いが上手な人からは学ぶことが多い』

気遣いの類語

類語は「配慮」「気配り」です。

気遣いの対義語

心を配っていないという意味で「無神経」が対義語になります。

持っていないという意味のある「ない」をつけた「気遣いがない」も対義語になります。

まとめ

どちらも同じ意味を持っている言葉です。

気を「配る」こと、つまり配慮を行きわたらせること、気を「遣う」こと、つまり心を働かせることを意味しています。