この記事では、「拝む」と「情願」の違いを分かりやすく説明していきます。
「拝む」とは?
「拝む」は、神仏などに敬意表して手を合わせたり、頭を下げたりすることを意味する言葉です。
また、珍しいものや大切なものを見るときや、人にお願いするときにも使用します。
謙譲語としても使用されることが特徴的です。
「情願」とは?
実情を述べて願い出ることを指す言葉を意味します。
嘆願と同じ意味です。
また、刑事収容施設法では、在監者が処遇に関して不服のある場合に、事情を述べて救済を願い出ることを「不服申立て」と呼びますが、旧監獄法では「情願」と呼ばれていたことで知られます。
「拝む」と「情願」の違い
「拝む」と「情願」の違いを、分かりやすく解説します。
「拝む」と「情願」の共通点は、どちらも何かを願うという意味があることを指します。
その中で、「拝む」と「情願」の違いとしては、主に相手や目的が異なるということが挙げられます。
「拝む」は、神仏や人に対して行う行為や言葉ですが、「情願」は、自分の心の中で感じる思いや願いだと言えます。
また、「拝む」は、礼儀や敬意を表すことが多いですが、「情願」は、感情や情熱を表すことが多いと考えられます。
「拝む」の例文
・『彼女は泣きながら、祖母の仏壇に拝む』
・『お正月には初詣に皆で言って、神様に一年の無事を拝むことにした』
「情願」の例文
・『彼がこれ以上いくら情願しようとも、私はその仕事を引き受ける気になりませんでした』
・『彼女は両親に情願して、海外留学の許可をもらいました』
まとめ
「拝む」と「情願」は、日本語の動詞ですが、意味や使い方が異なります。
「拝む」とは、神仏などに手を合わせて祈ることや、敬意を表して見ること、または懇願することです。
その一方で、「情願」とは、心から願うことや、強く頼むことです。
それぞれの言葉を正しく使い分けられるように注意しましょう。