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「自信」と「過信」と「慢心」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

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「自信」と「過信」と「慢心」の違いとは?生活・教育

この記事では、「自信」「過信」「慢心」の違いを分かりやすく説明していきます。

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「自信」とは?

自分、もしくは自分の所属しているものなど能力、経験などを信じていることを指しており、自信があるはそのままの意味となり、自信がないという言葉は逆の意味になります。

自信を持つという言葉はポジティブな言葉として使われますが、自信を持ちすぎるという言葉はややネガティブなイメージになります。

「過信」とは?

自分、もしくは自分の所属しているものなどの能力、経験などを現実以上に強いものと感じてしまっている状態を指します。

言葉としては過去を振り返って使う場合が多く、現在進行系で自分を過信していると気がついた場合は過信することをやめることが良いこととされていることもあり、「今、私は自分を過信している」という使い方はせず、「あの試合では自分を過信しすぎていた」という使い方は多く見られます。

なお、過信していたという言葉は過信しすぎていたという強調の仕方もあります。

「慢心」とは?

いい気になることや自分の能力以上におごり高ぶることなどを指し、自分の能力以上の能力を持っていると考えていることだけを指すと過信と同じような使い方になりますが、慢心に関しては自分にはまったくない能力なども含まれ、更に油断や悪い意味での慣れと言った方向性も慢心という言葉には含まれていると言えるでしょう。

実力や能力が発揮できなかったことだけでなく、相手をなめてかかったような態度に謙虚さがないことなども慢心という言葉に表されることがあります。

慢心も過信と同じく、当人が現在進行系で気がついていることではなく、「あの試合では慢心していた」などの使い方になり、現時点で慢心してると感じたら改めるのが良いこととされます。

「自信」と「過信」と「慢心」の違い

自分の能力や経験を信じることが自信、その自信が行き過ぎてしまったものが過信、自分の能力からかけ離れた場合も含めておごり高ぶったこと、いい気になったことなどが慢心となり、この中でいい意味で使われるのは自信だけとなっており、「今の自分に自信がある」など現在進行系で使うのも自信だけです。

なお、自信がない方向の言葉に過信や慢心は当てはまりません。

過去を振り返って使う言葉が過信と慢心で、「あのときは自分を過信していた」などと使うことがあり、さらに慢心という言葉のみ態度の悪さなどが意味に含まれて使用されるケースが見られます。

5 まとめ

自信という言葉は過信と慢心の原点とも言える言葉でもあり、自信が行き過ぎた、自信過剰という言葉では過信、自信がおかしな方向に行った、自信が尊大になったという言葉では慢心に置き換えることもできるでしょう。

過信と慢心に関しては気がついた時点で止めることができるという点が自信とは大きく異なる部分となっています。

自信家という使い方はありますが、慢心家や過信家という言葉はありません。