この記事では、「お見事」と「素晴しい」の違いを分かりやすく説明していきます。
「お見事」とは?
お見事は、とても素晴らしい様子や、見るべき価値があったということをあらわしています。
「お見事でした」の場合、目下の人が目上の人に対して使う言葉とされています。
同義語としてお上手があり、こちらもとても素晴らしいという意味になります。
見ごたえがあるものと言えるでしょう。
お見事は、見るものだけでなく食べ物でも使われます。
「見事な味」というような表現もあります。
「素晴しい」とは?
素晴しいは、思わず声をあげてしまうくらい関心してしまう様子をあらわしていて、優れていたり、際立って立派である場合に使われます。
人に対してだけでなく、料理や景色、モノ、芸術、映画など様々なモノに対して「素晴らしい」が使われます。
「お見事」と「素晴しい」の違い
「お見事」と「素晴しい」の違いを、分かりやすく解説します。
どちらも誉め言葉として使われているものですが、実はお見事は、反対の意味で使われることもあります。
例えば「見事に失敗した」や「見事に落選した」などです。
このような使われ方は、褒め言葉ではありません。
また、素晴らしいは形容詞ですが、お見事は、形容動詞、副詞、名詞として使われます。
「お見事」の例文
・『お見事、よくやったねと周囲がほめたたえた』
・『実にお見事なものでした』
「素晴しい」の例文
・『あなたの努力はとても素晴らしい成果をもたらした』
・『こちらのお料理の味はとても素晴らしい』
まとめ
お見事と素晴しいは、どちらも褒める言葉として使われていて、お見事は素晴らしいという意味も含んでいます。
ただし、お見事の見事は反語として使われることもあるため、その点で素晴らしいとお見事に違いがあると言えます。
また、素晴らしいは形容詞となっていますが、お見事は形容動詞、副詞、名詞として使われているという点でも違いがあります。