「拝む」と「崇める」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「拝む」と「崇める」の違いとは?違い

この記事では、「拝む」「崇める」の違いを分かりやすく説明していきます。

「拝む」とは?

神仏などに手を合わせ、頭を下げて祈る様子を表します。

心の中で祈ると同時に、手を合わせる動作も含まれます。

例えば、「神社で神様に拝む」「仏壇に向かって拝む」などのように使われます。

また、見るの謙譲語として、「お目にかかる」という意味で使われます。

珍しいものや高価なものなどを敬いながら見せてもらう様子を表します。

例えば、「美術館で名画を拝む」「貴重な資料を拝見する」などのように使われます。

さらには、必死にお願いするという意味で使われます。

苦しい事情を訴えながら一生懸命お願いする様子を表します。


「崇める」とは?

きわめて尊い存在として敬うことを表します。

人を神、または神に近い存在と思い敬うことを表します。

例えば、「神の子として崇められる」「英雄として崇める」などのように使われます。

大切に扱うという意味で使われます。

とにかく大事に、丁寧に寵愛することを表します。


「拝む」と「崇める」の違い

「拝む」「崇める」の違いを、分かりやすく解説します。

「拝む」「崇める」は、どちらも神仏などに対する敬意や尊敬を表す言葉ですが、ニュアンスや使い方に違いがあります。

「崇める」は、相手を神や神に近い存在として高く評価し、尊敬の念を抱くことを意味します。

また、大切に扱うという意味もあります。

その一方で、「拝む」は、神仏などに手を合わせて頭を下げ、祈りや願いを捧げることを意味します。

また、見るという意味の謙譲語や、必死にお願いするという意味もあります。

「拝む」の例文

・『祖母は毎朝仏壇に向かって拝んでいる』
・『子供がお坊さんの拝む動作を真似していた』

「崇める」の例文

・『我が家では神棚を崇める習慣がある』
・『この樹木は神木として崇められている』

まとめ

「拝む」「崇める」は、どちらも敬意を表す言葉ですが、使い方に違いがあります。

「拝む」は手を合わせて祈ること、「崇める」は尊い存在として敬うことです。

この違いを覚えておくと良いでしょう。

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