この記事では、「緩い」と「寛仁」の違いを分かりやすく説明していきます。
「緩い」とは?
「緩い」とは規則に関して厳格ではなく寛大なことです。
 ルールや掟そのものが少なかったり、もし失敗したり規則に反してしまっても大した罰は受けないというような、大らかで情け深い様子を指します。
 人の性格というよりは組織やグループの雰囲気を指す言葉として使われることが多いでしょう。
 ただし罰則が大して機能していないことから自堕落になることも多く、生ぬるい、だらしがないという意味で使われることもあります。
「寛仁」とは?
「寛仁」とは情け深く心が広いことです。
 こちらは人の心について使われる表現であり、慈悲深く寛大な人や、そういった態度を指します。
 人のミスを厳しく叱るのではなく優しくたしなめ、思いやりの心を持ち、相手のことを考えることが寛仁です。
 とても寛大なことを言い換えて使える言葉ですが、現代ではあまり一般的に使われる表現ではありません。
「緩い」と「寛仁」の違い
「緩い」と「寛仁」の違いを、分かりやすく解説します。
 規則に関して厳しくなく寛大なことが「緩い」で、情け深く寛大なことが「寛仁」です。
「緩い」は集団や組織の雰囲気や空気感について使われる言葉ですが、「寛仁」は人の心の有り様について使われます。
 また「緩い」は自堕落でだらしがないという意味合いを含めて使われることもありますが、「寛仁」はそういったネガティブな意味合いを含みません。
「緩い」の例文
 ・『職場の空気は緩い』
 ・『ルールは多いが緩いサークル』
「寛仁」の例文
 ・『寛仁な上司』
 ・『寛仁な処罰に感謝する』
まとめ
 大まかに言ってしまえばどちらも寛大ということであり、「緩い」が集団の雰囲気を指す言葉として使われるのに対し、「寛仁」は人の心の有り様を指して使われるというのが主な違いと言えるでしょう。
 また緩いは集団としてのルールや、それに反した時の罰に関して厳しいかどうかということに使われますが、寛仁はルールや罰に関する姿勢以外にも使われる違いもあります。



