この記事では、「偉大」と「壮大」の違いや使い方を分かりやすく説明していきます。
偉大と壮大の違い
「偉大」とは、きわだって大きいさま、非常にすぐれているさまを意味します。
この優れているとは、能力・人格・業績などのことを指しています。
「壮大」とは、規模が大きくて立派なことです。
「偉大」のきわだって大きいさまと、「壮大」が意味することは、ほぼ同じです。
しかし「偉大」にはきわだって大きいさまの他に、もう一つ意味があり、この意味は「壮大」にはありません。
能力・人格・業績などが非常にすぐれていることも「偉大」は指していて、この点に違いがあります。
偉大と壮大の使い方の違い
大きくて立派なことには、「偉大」「壮大」どちらでも使用することができます。
大自然に触れると、立派だなと感じることがありますが、このような自然の風景を「偉大な自然」とも「壮大な自然」ともいうことができます。
能力・人格・業績などがすぐれているさまについては、「壮大」は使用することができず、「偉大」を使用します。
非常にすぐれていることなので、日常で頻繁に使われるものではありません。
偉大と壮大の英語表記の違い
「偉大」は英語で“greatness”と表記をします。
「偉大な」を意味する“great”の形で使用されることが多いです。
「壮大」は英語で“magnificence”や“grandeur”と表記をします。
偉大の意味
「偉大」とは、きわだって大きいさま、非常にすぐれているさまのことです。
きわだつには、周囲のものよりもひときわ目立つという意味があります。
つまり、きわだって大きいさまとは、周囲のものと比べて大きい、特に目立つという意味になります。
非常にすぐれているとは、能力・人格・業績などについてを指しています。
容姿や話術なども、すぐれていると表現することができますが、「偉大」はこういったもののすぐれているさまを意味しているのではありません。
「偉大な芸術家」のような使い方をし、このようなことからもわかるように、歴史に残るような非常にすぐれていることを指しています。
偉大の使い方
ひときわ大きなさまや、非常にすぐれているさまを表すときに使用をします。
「富士山の偉大さ」といった使い方をし、この場合は他のものよりもひときわ大きい意味で使われています。
富士山は日本で一番高い山であり、日本の他の山と比べてひときわ大きいです。
すぐれている意味では、能力・人格・業績などについて使用をします。
能力は物事を成し遂げる力、人格は人間としてのあり方、業績は事業や学術研究などで成し遂げた成果のことを意味します。
これらが並みの程度ではないことを「偉大」といい、すぐれている意味では日常頻繁に使われるものではありません。
偉大を使った例文
・『偉大な芸術家の作品を鑑賞する』
・『自然の偉大さに胸を打たれる』
・『彼は偉大な発明をした』
・『偉大な功績をたたえて石碑を立てる』
・『偉大な学者になりたい』
偉大の類語
「偉い」「立派」が類語です。
「偉い」は、個人の人格や能力がすぐれているさまや、程度がはなはだしい、ひどいという意味があります。
「立派」は、堂々としているさまや、欠点がなく整っているさまの意味があります。
偉大の対義語
「平凡」が対義語です。
ありふれていて、これといったすぐれた特徴がないことを意味します。
壮大の意味
「壮大」とは、規模が大きくて立派なことです。
「規模」には、物事の構造や内容などの大きさの意味があり、「立派」には、威厳があって美しい、すぐれている意味があります。
「壮大な旅行計画」という場合は、計画の内容が大きいことを指しています。
近所の公園に行くようなものではなく、多くの人にとっては成し遂げることが難しいような意味合いがあります。
また、「壮大な自然」というときには、自然の景色や大きさが非常にすぐれている意味があります。
日常目にする観葉植物や街路樹などとは比べ物にならない大きさや美しさです。
このように、並みのことではないものを「壮大」は意味しています。
壮大の使い方
大きくて立派なことに使用をします。
小さくても立派なものはあります。
たとえば、ダイヤモンドのネックレスです。
立派ではありますが、小さなものには「壮大」は使用しません。
「壮大」は立派で、さらに規模が大きなものに使用をします。
壮大を使った例文
・『壮大な計画を発表する』
・『壮大な眺めであった』
・『壮大な音楽を聴かせてもらった』
・『壮大なイベントが開催された』
・『自然は壮大だとしみじみと思った』
壮大の類語
「堂々」が類語です。
立派で威厳があるさまを意味します。
壮大の対義語
「矮小」が対義語です。
こぢんまりしているさまを意味します。
まとめ
「偉大」は能力や人格などがすぐれていること、「壮大」は大きく立派であることで、それぞれが意味しているものは違います。