この記事では、「痛感」と「痛烈に思う」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「痛感」とは?
自らの失態により周囲へ多大な迷惑をかけてしまったとき、深刻に受け止めることを「痛感」【つうかん】といいます。
心に強い痛みを感じるほど強く身にしみるほど悪い行為したと受け止めて、深く反省するのです。
それほど仕事で大きな穴を開けてしまったり、目上の人に恥をかかせてしまった状況を深く反省して次こそ同じような失敗しないと自分に言い聞かせます。
使い方としては、自分に「協調性がないか痛感した」と反省するわけです。
「痛烈に思う」とは?
攻めるところに困惑するほど手厳しいと感じるとき「痛烈に思う」【つうれつにおもう】といいます。
それほど叱らなくてもいいのではないかと思うほど酷く攻めたてる上司の様子を見て、厳しすぎるのではないかと自分の方が感じるとき使う感情表現です。
それほど自らの行動により深刻な事態に陥ったと感じるほど思い知らされる状態で感じる気持ちを指します。
「痛感」と「痛烈に思う」の違い
ここでは「痛感」と「痛烈に思う」の違いを、分かりやすく解説します。
力がない、知識不足を痛いほど感じることを「痛感」といいます。
それほど深刻な状況を重く受け止めなければいけない問題を自らが起こしたとき、身に受け止めて深く反省するのです。
もう一方の「痛烈に思う」は自分の犯した失敗によって叱られたとき、全身に鋭い痛みを感じたように深く反省する様を表します。
それほど周囲の足を引っ張り、迷惑をかけたことに強く反省する気持ちを伝える言葉です。
「痛感」の例文
・『部下が正しく行動できないのは指導不足だと痛感した』
・『生徒にうまく説明できなかったのは知識不足だと痛感した』
「痛烈に思う」の例文
・『部長の言葉が胸に刺さるほど痛烈に思う瞬間だった』
・『痛烈に思う世間の批判に深く反省し、行動を見直した』
まとめ
「痛」を使った言葉ではありますが、心に感じる「痛感」か胸を切り刻まれるような「痛烈」に思うかの違いがあります。
どのように使えば自分側が痛い思いをしたか伝えられるように学んでみましょう。