この記事では、「命の洗濯」と「心の洗濯」の違いを分かりやすく説明していきます。
「命の洗濯」とは?
「命の洗濯」とは、日常の忙しさや束縛から離れて、娯楽や休養を満喫することです。
仕事や勉強などの日常に追われて心身に疲労やストレスが溜まっている人が、ゆっくりと自分の時間を楽しんで心身をリフレッシュさせることをいいます。
「命」という言葉が使われているのは、リフレッシュすると心身が元気になり「命=寿命」が延びるような思いがするためです。
また、本来「洗濯」は汚れた衣類を洗ってきれいにすることを指しますが、リフレッシュすると心身に蓄積したストレスや疲労が洗い流される感じがすることから、衣類の汚れが落ちる様子になぞらえ「洗濯」に例えられています。
なお、同じ意味を持つ言い回しには「命の土用干し」があります。
これは、物を土用干し(日干し)してこもった湿気を取り払うところが、溜まった疲労を取り除く感じと似ています。
「心の洗濯」とは?
「心の洗濯」は、娯楽や休養などを満喫して溜まったストレスや気持ちのうっぷんを取り除くことです。
心身のストレスが解消されてすがすがしい気持ちになるところが、洗濯をして衣類の汚れが落とされる様子に似ているので「心の洗濯」という言い回しに例えられています。
娯楽や休養など自分の時間を楽しむことで心身がリフレッシュされるさま、それによって特に気分がスッキリする様子が「心の洗濯」と呼ばれています。
「命の洗濯」と「心の洗濯」の違い
「命の洗濯」と「心の洗濯」の違いを、分かりやすく解説します。
「命の洗濯」と「心の洗濯」は、娯楽や休養などによって日頃溜まった心身の疲労やストレスを解消させることで、両者の意味はほぼ同じです。
ただ、「命の洗濯」は「体がスッキリして元気になった感じがし、寿命が延びた思いがする」というニュアンスがあり、「心の洗濯」は「ストレスが解消されて気分がスッキリする」といったニュアンスを含んでいるところが微妙に異なります。
「心身がリフレッシュされる」という点に大きな違いはないので、互いを言い換えて使っても問題ありません。
「命の洗濯」の例文
・『温泉に入って豪華な食事を食べたので、十分に命の洗濯ができた』
・『命の洗濯をするため、都会の喧騒を離れて自然の中でのんびり過ごす』
「心の洗濯」の例文
・『サウナでリフレッシュすることは、体を整えるだけでなく心の洗濯をする効果もある』
・『悲しい映画を見て思い切り泣いたらスッキリして心の洗濯になった』
まとめ
「命の洗濯」や「心の洗濯」は、どちらも日頃のストレスから解放され心身をリフレッシュすることを例えています。
微妙にニュアンスが異なりますが、意味はほとんど同じです。