この記事では、「賓は投げられた」と「伸るか反るか」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。
「賓は投げられた」とは?
事はもう始まっているので、何をしたらいいかと考えるだけ無駄という意味がある言葉を「宴は投げられた」【さいはなげられた】です。
もうすでに物事は始まって進んでいる状態になるので、何をしても無駄といった状況下ではもう成り行きに任せるしかないのです。
このようなところから運命には逆らわず、突き進めとカエサルがルビコン川を渡ろうとする際に言い放った言葉でした。
「伸るか反るか」とは?
成功するか分からない状況のときは、どのようになるか天に運を委ねてみることも大事という意味で使われているのが「伸るか反るか」【のるかそるか】です。
悪い方向に向う状況を打破するには伸びる方法を使うか、反るかを考えてから行動するのが大事という意味があります。
もう時間はない、後がないといった状況下のときの選択肢として使われている方法を指す言葉です。
「賽は投げられた」と「伸るか反るか」の違い
ここでは「賽は投げられた」と「伸るか反るか」の違いを、分かりやすく解説します。
すでに事は始まっている段階であり、途中からいくら自分が関わったとしてもいいようにはならないので、ときには運に任せて行動するのが大事という意味で使われているのが「賽は投げられた」です。
もう一方の「伸るか反るか」はうまくいくか定かでなくとも、ときに運に身を委ねるのも大切という意味で使われています。
とくに、いちかばちかやるしかないという切羽詰った状況下のときの選択肢として使うわけです。
「賽は投げられた」の例文
・『面接を受けるには気を引き締めて取り組むのが大事。賽は投げられた』
・『すでに賽は投げられたが、うまく話を進める予知がある』
「伸るか反るか」の例文
・『競馬するときは伸るか反るかで賭ける馬番を決めている』
・『人生において、ときに伸るか反るか考えるのもいい方法だ』
まとめ
人生は運に任せて進むといい結果が得られる場合もあるといったことわざを2つご紹介しました。
どう使えばいいかに目を向けて、自分なりにいくつか例文を考えてみるのも勉強になるでしょう。