この記事では、「論語読みの論語知らず」と「ボウズの不信心」の違いを分かりやすく説明していきます。
「論語読みの論語知らず」とは?
本を読んで知識を得るだけで、本当の意味については知らないという言葉が「論語読みの論語知らず」【ろんごよみのろんごしらず】です。
書物を読めばある程度は知識を習得できますが、実際には目にしたものではないため真の精神についてはよく理解できません。
このような意味から、学識はありますが、実力が伴っていないという意味で使われています。
「ボウズの不信心」とは?
仏教の教えについて身をもって習っているというのに、肝心の本人が仏の存在を信じていないことを「ボウズの不信心」【ぼうずのふしんじん】といいます。
このようなところから、他人には偉そうに知識を伝えてはいますが、実行が伴っていない人という意味がある言葉です。
そのため、まったく言っていることに説得力がなく、周囲からの信頼を得られません。
「論語読みの論語知らず」と「ボウズの不信心」の違い
「論語読みの論語知らず」と「ボウズの不信心」の違いを、分かりやすく解説します。
書物で難しい論語を学んではいますが、意味となる真の精神とは何かまでは理解していないといった意味で使うのが「論語読みの論語知らず」です。
このことから、難しい学識はあっても、実力ができない残念な人を指す言葉になります。
もう一方の「ボウズの不信心」は勉強に励む本人が仏を信じていないといったところから、立派なことを言ったとしても、実行ができていないという意味で使う言葉です。
「論語読みの論語知らず」の例文
・『調理の仕方を教える先生が味覚音痴では、論語読みの論語知らずだ』
・『三味線の知識を持っているが、論語読みの論語知らずで弾けないとは酷い』
「ボウズの不信心」の例文
・『ボウズの不信心、不細工な美容家に化粧の仕方を教われない』
・『ボウズの不信心、英語教師が単語の意味を理解していなかった』
まとめ
当の本人は知識を持ってはいますが、現実には人を説得できるほどの説得力がないという意味があることわざを2つ取り上げました。
どのように使えば意味をうまく引き出せるか学ぶといいでしょう。