この記事では、「目に入れても痛くない」と「溺愛」の違いを分かりやすく説明していきます。
「目に入れても痛くない」とは?
目に入れても痛くないとは、可愛くてたまらない様子を表すことわざです。
目はちょっとしたゴミが入っただけでも痛いものですが、そんな目の中に入れても痛いと思えないほど可愛いという意味になります。
子や孫などを溺愛する様子をたとえています。
「溺愛」とは?
溺愛とは、むやみに可愛がることや盲目的に可愛がることをいいます。
溺愛の「溺」という漢字には、「おぼれる、夢中になる、心を奪われる」といった意味があります。
「愛」はいとおしく思う気持ちを表しています。
溺愛は単に可愛がるだけではなく、理性や分別を欠いて他を顧みない状態になっているというニュアンスも含まれます。
子どもや孫などに使われることが多い言葉です。
「目に入れても痛くない」と「溺愛」の違い
目に入れても痛くないは可愛くてたまらない様子のことで、溺愛はむやみに可愛がることをいいます。
溺愛はかわいがることそのものを指していて、目に入れても痛くないは溺愛する様子を表しています。
「目に入れても痛くない」の例文
・『子どもには厳しい父だったが孫のことは目に入れても痛くないほど可愛がっている』
・『一人娘は目に入れても痛くないほどだったが、今は遠方に住んでいてなかなか会えない』
・『私たち夫婦にはこの愛犬が目に入れても痛くないほど可愛い』
「溺愛」の例文
・『母は弟を溺愛していたが、弟の方はそれを過干渉だと感じていた』
・『祖父母に溺愛されて育ったせいか娘はお年寄りに優しい』
・『孫を溺愛して何でも買い与えるのは良くない』
まとめ
目に入れても痛くないは可愛くてたまらない様子を表すことわざで、溺愛は理性や分別を欠くほどむやみに可愛がることをいいます。
可愛がることそのものを表しているのが溺愛で、目に入れても痛くないは溺愛している様子を表しています。