「雲外蒼天」と「開雲見日」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「雲外蒼天」と「開雲見日」の違いとは?違い

この記事では、「雲外蒼天」「開雲見日」の違いを分かりやすく説明していきます。

「雲外蒼天」とは?

「雲外蒼天」とは苦しい状況や困難を乗り越えれば快い状況が待っているという言葉です。

文字通りの意味は悪い天気でも雲の外に出れば蒼く晴れ渡った空があるという意味ですが、それから転じて悪い状況でもそれは一時的なものであり、努力して乗り越えれば好転するという励ましの言葉になります。

また試練のように努力して乗り越えることでより良いことが待っているという意味の言葉なので、今は苦しいけれど堪えようという場合に使われる言葉ではありません。


「開雲見日」とは?

「開雲見日」とは心配事がなくなって先行きに希望が持てることという意味です。

特に疑惑や誤解を持たれていたけれど、そういった勘違いが解けることという意味で使われます。

開雲見日は努力によって心配事を解消するというような意味はなく、心配事が解消された理由は問いません。

なので自分の説得で誤解が解けた場合にも使いますが、誰かが悩みのタネを解決してくれた場合にも使えます。


「雲外蒼天」と「開雲見日」の違い

「雲外蒼天」「開雲見日」の違いを、分かりやすく解説します。

困難な状況も努力して乗り越えれば希望が待っているというのが「雲外蒼天」で、心配事がなくなって希望が見えてきたことが「開雲見日」です。

「雲外蒼天」はまだ状況が好転していない場合に使い、「開雲見日」は状況が好転した時に使われます。

また「雲外蒼天」は自分で状況を好転させるための励ましの言葉ですが、「開雲見日」は状況が好転した原因が自分とは限りません。

「雲外蒼天」の例文

・『業界に逆風が吹いているが雲外蒼天の気持ちで頑張ろう』
・『疲れが溜まっているが雲外蒼天と気合を入れ直す』

「開雲見日」の例文

・『疑われたが犯人が捕まって開雲見日の気分だ』
・『赤字続きだったが注目が集まっている今は開雲見日といったところだ』

まとめ

雲は不安や困難のたとえで晴れた空は希望のたとえというのは共通していますが、「雲外蒼天」では希望は自分が努力した先にあるのに対し、「開雲見日」は努力したかは問わず希望が見えてきたことという違いがあります。

また「雲外蒼天」は励ましに使う言葉ですが、「開雲見日」はその状況を表現する言葉というのも両者の違いです。

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