最近では、ことわざを引用して何かを表現するようなことはあまりないだろうと思っていましたが、ネットで検索すると思いのほか頻繁に引用されているということがわかりました。
特に、何かの議論の中で、主張していることをその本人ができてないことに関して「医者の不養生」のような表現が使われています。
それでは、この「医者の不養生」とはどういう意味でしょうか。
また、「坊主の不信心」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「医者の不養生」と「坊主の不信心」の違いを分かりやすく説明していきます。
「医者の不養生」とは?
「医者の不養生」とは、「いしゃのふようじょう」と読み、他人の病気をなすことが仕事である医者が、簡単に病気になるという意味です。
この通りの意味で使われることも多いですが、自分が散々他人に対して言っていることをその人はできていないということに関しても使われています。
「坊主の不信心」とは?
「坊主の不信心」とは、「ぼうずのふしんじん」と読み、他人に信心の大切さを説いている、お寺の僧侶が自分は信心を行なっていないという意味で使われる言葉です。
やはり、自分のことに関してはコントロールできていないという意味で使われることもあります。
「医者の不養生」と「坊主の不信心」の違い
「医者の不養生」と「坊主の不信心」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つは、人に対して主張していることが自分はできていないということを表すという部分では同じですが、どこに違いがあるのでしょうか。
この2つの違いを最も簡単に説明するなら、元となっている職業の違いだけで、そこから導き出される結論も主張したいことも全く同じであると言って良いでしょう。
同じ意味を持つ職業系のことわざは「儒者の不身持ち」「紺屋の白袴」などがあります。
「医者の不養生」の例文
・『この病院の先生が病気になってしまい、医者の不養生と言われています』
・『医者の不養生というように、自分のことはちゃんとわかっていません』
「坊主の不信心」の例文
・『主張していることができていないなんて、坊主の不信心ですね』
・『坊主の不信心と言われるように、他人を指導している人は自分に甘いということはよくあります』
まとめ
この記事では、「医者の不養生」と「坊主の不信心」の違いを、解説してきました。
序文でも述べたように、これらの言葉は私たちの身近にあります。
この機会にこれらの正しい使い方を勉強しておきましょう。