「萎える」と「病む」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「萎える」と「病む」の違いとは?違い

この記事は、「萎える」「病む」の意味や違いを分かりやすく説明していきます。

「萎える」とは?

好きな人と会えない現実に、嫌われてしまったのではないかと落ち込むことを「萎える」【なえる】といいます。

愛する人の気持ちが遠のき、このまま別れるのではないかと心配になり、気持ちが前向きになれないのです。

心配する気持ちで行動する気力も失い、健康を害すことになってしまいます。

しだいに体も弱り、ますますやる気を奪っては日々の生活さえ楽しく過ごせなくなるのです。


「病む」とは?

心も体さえ前向きに過ごせない日々が続けば病気になってしまうことを「病む」【やむ】といいます。

風邪をひいて寝込んたり、重い病気にかかるなど苦しい状態に陥ることでますます考え方まで暗くなって、病気が治りにくくなるのです。

また、怪我してズキッと激痛が走れば辛い気持ちに包まれて、本当に治るのかと心配になり、気分もさらに悪くなるといった意味もあります。


「萎える」と「病む」の違い

「萎える」「病む」の違いを、分かりやすく解説します。

病気になったとき、なかなか治らないところに気落ちすることを「萎える」といいます。

このようなところから恋愛相手に会えない、冷たくされると心が傷つき、落ち込む気持ちを「萎える」と表す言葉です。

もう一方の「病む」は、病気になって体も心も酷く落ち込んでしまう状態を指します。

こういった意味から、好きな人と別れを告げられたとき酷く傷つき、病気にかかったようになる様を指す言葉です。

「萎える」の例文

・『遠距離恋愛中の彼女に電話しても出ないので、気持ちが萎える』
・『病気にかかって様々な治療したが、5年経っても完治せず萎える』

「病む」の例文

・『気温が低い現場での仕事ばかりで心臓を病む』
・『好きな人とゆっくり会って話ができない日々に病む』

まとめ

心と体が病気になってしまうとき使う言葉を2つ取り上げましたが、どういった使い方すればより落ち込む気持ちが伝えられるか学習してみましょう。

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