この記事では、「立つ鳥跡を濁さず」と「あとは野となれ山となれ」の違いを分かりやすく説明していきます。
「立つ鳥跡を濁さず」とは?
「立つ鳥跡を濁さず」は、立ち去っていく者は、見苦しい後が残らないように、さらには美しさも残すくらいの引き際で、きれいに始末していくべきだというたとえです。
「立つ鳥跡を濁さず」のことわざの由来は、水鳥が飛び立った後の水面はきれいなことからきています。
「あとは野となれ山となれ」とは?
「あとは野となれ山となれ」とは、目の前のことが解決できれば、あとはどうなっても構わないというたとえです。
「あとは野となれ山となれ」のことわざの由来は、自分が去ってしまえば、あとは野になっても山になっても構わないということからきています。
「あとは野となれ山となれ」と意味が似ていることわざとしては、「旅の恥はかき捨て」などがあります。
「立つ鳥跡を濁さず」と「あとは野となれ山となれ」の違い
「立つ鳥跡を濁さず」と「あとは野となれ山となれ」の違いを、分かりやすく解説します。
「立つ鳥跡を濁さず」と「あとは野となれ山となれ」は反対の意味のあることわざです。
自分が立ち去る時、後始末をきれいにしていくたとえが「立つ鳥跡を濁さず」で、逆に自分が立ち去ってしまえば(目先のことが解決できれば)、後はどうなっても構わないというたとえが「あとは野となれ山となれ」になります。
「立つ鳥跡を濁さず」と「あとは野となれ山となれ」には、このような違いが見られます。
「立つ鳥跡を濁さず」の例文
・『立つ鳥跡を濁さずだと思い、部屋を使用した後は、後片付けと掃除をしてから帰りました』
・『「立つ鳥跡を濁さず」のように、どんな時でも引き際は美しくありたいものです』
「あとは野となれ山となれ」の例文
・『今回の試験はベストを尽くしたので、あとは野となれ山となれだ』
・『彼はこのあとどうなっても、あとは野となれ山となれだと思って、あのような辞め方をしたのだろう』
まとめ
今回は「立つ鳥跡を濁さず」と「立つ鳥跡を濁さず」の意味や違いなどについてご紹介してきました。
「立つ鳥跡を濁さず」と「あとは野となれ山となれ」、それぞれの言葉の意味や違いを知ることで、より適切に使えるようになるでしょう。