相手に対して可哀想と思うことや申し訳ないと思うことを表す言葉には「不憫」や「気の毒」があります。
この記事では、「不憫」と「気の毒」の違いを分かりやすく説明していきます。
「不憫」とは?
「不憫」とは人や行動が可哀想と思う時や憐れむべき様を表す時に使う言葉です。
この言葉に使われている「憫」は憐れむや憂えるという意味の言葉であり、憐憫という使い方が有名です。
「不憫」は基本的に自分よりも立場が下のものや年齢が低い人に対して使う言葉であり、類義語には「可哀想」があります。
「可哀想」は年上に対して使うことも可能です。
「気の毒」とは?
「気の毒」とは他人の不幸や失敗などに心が痛むことを表す言葉です。
「気の毒」はこれ以外にも自分の失敗や迷惑に対して申し訳ないことを表す時にも使います。
「気の毒」を使った敬語には「お気の毒」があり、この場合人の不幸や悲しみに対して同情する時に使います。
「気の毒」の類義語には「可哀想」や「痛々しい」が有名です。
「気の毒」は色々な場面で使うことが可能であり、「お気の毒さま」は敬語表現としてよく使われています。
「不憫」と「気の毒」の違い
「不憫」は人に対して可哀想と思うことや憐れだと思うことを示す言葉です。
「気の毒」は他人の不幸や失敗などに心が痛むことを表す言葉であり、こちらは色々な場面で使うことが可能です。
「不憫」の例文
・『あの娘はとても不憫な生活しているが、自分では力になれないのが悔しい』
・『不憫な生活と言われたが、自分ではそれなりに満足しています』
「気の毒」の例文
・『お気の毒ですが、今回の試験は中止になりました』
・『事故にあったことはお気の毒さまですが、とりあえず保険会社に連絡した方がいいと思います』
まとめ
「不憫」や「気の毒」は相手を可哀想と思う時や心が痛む時に使う言葉です。
「不憫」は自分よりも立場や年齢が低い人に対して使う言葉ですが、「気の毒」はこれ以外にも使うことが可能です。