現実として現れていないことを、想像して対応するというのはかなり難しいことですが、そのようなことが要求される場面はたくさんあります。
そんな時に使われるのが「行間を読む」という表現です。
それでは、この「行間を読む」とはどういう意味でしょうか。
また、「空気を読む」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「行間を読む」と「空気を読む」の違いを分かりやすく説明していきます。
「行間を読む」とは?
「行間を読む」とは、もともとは、小説などの文章の行と行の間の何も書かれていないところに書かれるべき内容を前後の文章から類推するという意味で使われていたもので、読み込みの深さや想像力の豊富さを表すために使用されていました。
それがその後、文章だけではなく、話していることや、行動なども対象となるように拡大解釈されています。
「空気を読む」とは?
「空気を読む」とは、文字通りその場にながれている空気を読んで、自分の言動を調整することを意味する言葉です。
この時の「空気」とは英語の「air」にも通じるもので、その場の雰囲気やほかの人の言動などのことです。
多くの場合は否定的な意味合いで「空気を読めない」とい使われます。
「行間を読む」と「空気を読む」の違い
「行間を読む」と「空気を読む」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つは、明確にされていないことに対する想像力や判断力に関しての言葉であることは同じですが、どこに違いがあるのでしょうか。
この2つの違いを最も簡単に説明するなら、目の前に現れている事実からその裏を考えるのが「行間を読む」であり、目の前に現れている事実をつなぎ合わせて何が求められているかを判断するのが「空気を読む」ということになります。
「行間を読む」の例文
・『このプロジェクトは、明文化されているものが少ないので「行間を読む」のが難しいです』
・『「行間を読む」能力はビジネスの現場でも大きなアドバンテージになるでしょう』
「空気を読む」の例文
・『あのひとは「空気を読む」ことができないので、みんなから疎ましがられています』
・『「空気を読む」ためには、その場の雰囲気を敏感に察知する能力が必要です』
まとめ
この記事では、「行間を読む」と「空気を読む」の違いを、解説してきました。
ここまで説明してきた内容をよくかみ砕いていただき、今後のコミュニケーションに生かしていただければ幸いです。