「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の違いとは?意味や違いを分かりやすく解釈

「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の違いとは?違い

この記事では、「果報は寝て待て」「人事を尽くして天命を待つ」の違いを分かりやすく説明していきます。

「果報は寝て待て」とは?

「果報は寝て待て」とは、「幸運の訪れは、人の力ではどうにもできないものであるから、焦らずにゆっくりその時を待つべきであるという教訓」という意味です。

自分に幸運が巡って来るまで、するべきことをしながら気長に待つことを表します。


「果報は寝て待て」の言葉の使い方

「果報は寝て待て」は、ことわざとして使われます。

「果報(かほう)」は仏教用語で「前世での行いの結果として、現世で受ける報い」から転じて、「幸運に恵まれること」という意味です。

「寝て待て」は本当に寝ながら待つということではなく、「気長に良い知らせを待てというたとえ」という意味、全体で「幸運に恵まれるまで、気長に待てということのたとえ」になります。


「人事を尽くして天命を待つ」とは?

「人事を尽くして天命を待つ」とは、「あらん限りの力を尽くして、後は静かに運命に任せることのたとえ」という意味です。

後悔しない様にできる限り努力して、あとは結果を待つばかりの状態を表します。

「人事を尽くして天命を待つ」の言葉の使い方

「人事を尽くして天命を待つ」は、ことわざとして使われます。

「人事」「人ができること」という意味、「天命」「自分ではどうしようもできない天からの命令」という意味です。

中国の南宋時代に記された「読史管見(とくしかんけん)」という書物からの引用です。

作品中に「人事を尽くして天命に聴(まか)す」という一節があり、「聴す」「任せる」という意味もあるために、変化して使われる様になりました。

基本的に、出来る限りの努力をしてから、運命に任せることのたとえに使われます。

「果報は寝て待て」と「人事を尽くして天命を待つ」の違い

「果報は寝て待て」「幸運に恵まれるまで、気長に待てということのたとえ」です。

「人事を尽くして天命を待つ」「出来る限りの努力をしてから、運命に任せることのたとえ」です。

まとめ

今回は「果報は寝て待て」「人事を尽くして天命を待つ」について紹介しました。

それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。

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