「大海の一滴」と「光陰矢の如し」はそれぞれどのような意味なのでしょうか。
この記事では、「大海の一滴」と「光陰矢の如し」の違いを分かりやすく説明していきます。
「大海の一滴」とは?
「大海の一滴」とは、「大きな存在に対して極めて小さいことのたとえ」です。
広く大きな海に一滴のしずくをたらしたところで何も影響を与えることはない、という大きな存在に対する小さな存在の無力さを表すことわざです。
大きな物事に対して小さな存在が努力しても無駄であるという意味のほか、自分を過大評価する人に対し大きな存在に対しては何もできないちっぽけな存在であることを自覚させる戒めの言葉としても使われます。
「光陰矢の如し」とは?
「光陰矢の如し」とは、「月日が経つのが早いことのたとえ」です。
時間の流れは矢が飛ぶように早い、という月日が流れることのはやさを矢が飛ぶ速度にたとえたことわざです。
あっという間に過ぎ去ってしまう時の流れのはやさを憂う気持ちのほか、時間はあっという間に過ぎてしまうので大切にしなければいけないという時間の希少性を表す意味でも使われます。
「大海の一滴」と「光陰矢の如し」の違い
「大海の一滴」と「光陰矢の如し」の違いを、分かりやすく解説します。
「大海の一滴」は小ささのたとえで「光陰矢の如し」は時間のはやさのたとえです。
どちらも個人の力ではどうにもならないことを表していますが「大海の一滴」は社会の仕組みや大きな集団など実在の物を対象にするのに対し「光陰矢の如し」は時間の流れを対象にしています。
「大海の一滴」はちっぽけで無力なことを強調する悲観性を含んだ表現ですが「光陰矢の如し」はしみじみと憂いを帯びているものの悲観的ではありません。
「大海の一滴」の例文
・『何かしたところでしょせん大海の一滴に過ぎない』
・『大海の一滴であっても諦めるつもりはない』
「光陰矢の如し」の例文
・『光陰矢の如しというように気づいたら60歳を過ぎていた』
・『光陰矢の如しというが苦しい時間は逆に長く感じられるものである』
まとめ
「大海の一滴」と「光陰矢の如し」は全く意味が異なります。
それぞれの意味をきちんと理解して正しく使いましょう。