この記事では、「紺屋の白袴」と「医者の不養生」の違いを分かりやすく説明していきます。
「紺屋の白袴」とは?
紺屋の白袴とは、他人のために働いてばかりいて自分のことはおろそかになっていることをいいます。
また、いつでもできることを放置してやらないことも表しています。
紺屋は江戸時代にあった染め物をするお店で、非常に繁盛していました。
白い生地を染めるのが紺屋の仕事ですが、自分のことには手が回らず染めていない白い袴をはいている様子を表しています。
「医者の不養生」とは?
医者の不養生とは健康に気を付けるように言う医者が自分の健康には無頓着である様子を表しており、他人には立派なことを言いながら自分は実行しないことの例えです。
江戸時代に書かれた談義本に「風流志道軒伝」があり、その中に「医者の不養生、坊主の不信心」が登場します。
これが医者の不養生の語源で、ことわざとして広く知られるようになりました。
風流志道軒伝は風来山人という人物が書いた本で、伝記の形で世相を風刺しています。
風来山人は平賀源内という名前でも知られます。
「紺屋の白袴」と「医者の不養生」の違い
紺屋の白袴も医者の不養生も、自分のことはおろそかになっていることを表すことわざです。
紺屋の白袴の場合には、忙しくて自分まで手が回らないことを意味しています。
医者の不養生の場合には、健康に気を付けることが大事だと分かっているにも関わらず自分では行わないことを表しています。
医者の不養生の場合、忙しいから自分のことがおろそかになるわけではありません。
「紺屋の白袴」の例文
・『学校の先生が自分の子どもに関わる時間がとれないのは紺屋の白袴といえるだろう』
「医者の不養生」の例文
・『先生も医者の不養生で、お酒はやめられないみたいだ』
まとめ
他人のために忙しく働いて自分のことがおろそかになってしまうのが紺屋の白袴で、口では立派なことをいいながら自分では実行しないことを表しているのが医者の不養生です。