この記事では、「達観」と「諦め」の違いを分かりやすく説明していきます。
「達観」とは?
「達観」は「たっかん」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は、「遠い将来の情勢まで見通すこと」という意味です。
2つ目は「目先のことや小さなことに惑わされず、悟りの境地に立ってものごとにのぞむこと」という意味です。
「達観」の言葉の使い方
「達観」は名詞として「達観する・した」「達観の境地」などと使われます。
「達」は「道が通る」から転じて「目的・目標とするところに行きつく」という意味、「観」は「み(る)」とも読み「対象を眺めてみる」から転じて「ものごとを見て意味や本質をとらえる」という意味、「達観」で「ものごとを見て意味や本質をとらえるところまで行きつくこと」になります。
「諦め」とは?
「諦め」は「あきらめ」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は「実現不可能だと思い、断念すること」という意味です。
2つ目は「望みがないとして好まないことを受け入れること」という意味です。
「諦め」の言葉の使い方
「諦め」は名詞として「諦めがつく・ついた」「諦めが悪い」などと使われます。
動詞「諦める」の連用形が名詞化した言葉で、語源は「明らかにする」という意味の「明らむ」という語です。
仏教用語で「ものごとのことわりをはっきりさせて、理に合わないことが無用として捨てる」という意味、転じて「断念する」という意味で使われる様になりました。
「達観」と「諦め」の違い
「達観」は「ものごとを見て意味や本質をとらえるところまで行きつくこと」です。
「諦め」は「実現不可能だと思い断念すること」です。
「達観」の例文
「達観」の例文は以下の通りです。
・『彼は二十歳にして人生を達観している』
・『日々精進して将来を達観する』
「諦め」の例文
「諦め」の例文は以下の通りです。
・『全く歯が立たずに負けたので諦めがつく』
・『彼はフラれたのに諦めが悪い』
まとめ
今回は「達観」と「諦め」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。