豪華絢爛と質実剛健とも言える特徴の違い?
この記事では、「古伊万里」と「伊万里」の違いを分かりやすく説明していきます。
「古伊万里」とは?
現代でもヨーロッパの王室で日本の陶器が流行しているのは有名な話ですが、その潮流の大元となったのは日本最古の陶器でもある江戸時代の伊万里焼だと言えるでしょう。
1659年にオランダ東インド会社を通じてヨーロッパに広まっていきました。
分業体制で大量生産されると輸出された点数200万以上にも挙がるとされ、当時の柳川藩の財源となっていたのは間違いないでしょう。
ヨーロッパでは1710年ドイツの『マイセン』が欧州初の硬質磁器を製造に成功。
そこから『ロイヤルコペンハーゲン』など現代でも名前の知られている陶磁器メーカーが台頭し、日本の伊万里焼きの需要は減りました。
しかしそれでも国内の大名、有力武家の美術収集品としての需要があり煌びやかなものが現存しています。
総じてこの江戸時代の富裕層、海外向け、一般向け問わず骨董品としての価値が高いものを「古伊万里」と呼びます。
「伊万里」とは?
伊万里港から積荷していた事で伊万里焼という名称がついたのは既知の事実。
運搬手段が多様化するに従って有田焼などの産地の名称が浸透していく事になります。
「伊万里」は主に明治時代初期に作られた旧柳川藩周辺で作られた国内向けの陶器を全般に指すと言っていいでしょう。
当然ながら江戸時代後期からは一般向けの陶器も作られ出荷されていたため、シンプルな装いが特徴です。
「古伊万里」と「伊万里」の違い
「古伊万里」と「伊万里」の違いを、分かりやすく解説します。
「古伊万里」は基本的に江戸時代に作られた骨董品としての価値が高いものを指すと言っていいでしょう。
江戸時代前期、ヨーロッパで硬質磁器が生産開発され、技術が伝播されていない1700年代前半に輸出された200万個や1700年代後半からの富裕層むに作られた煌びやかな釉薬が贅沢に使われているものは特に価値が高いと言えるでしょう。
江戸時代後期には一般向けに作られたものは煌びやかさは抑えられていますが、それでも骨董的価値が高いと言えます。
一方の「伊万里」は明治時代初期からのものを指しており、素焼き後に釉薬が使われています。
煌びやかさでは貴重な外貨獲得源かつ富裕層向けとなった「古伊万里」には劣らざるをえません。
まとめ
「古伊万里」は江戸時代に作られた伊万里焼全般を指します。
なかでも骨董的価値の高いのが欧州向けに輸出された1659年から1700年代前半のもの。
また有力大名に柳川藩主からの土産とされたものも骨董的価値が高く煌びやかなのは言うまでもありません。
「伊万里」は明治時代初期からの製造方法で素焼き後に釉薬を使ったものです。