貴族と武士?藤原氏と後北条氏の時代?
この記事では、「平安時代」と「鎌倉時代」の違いを分かりやすく説明していきます。
「平安時代」とは?
794年「ナクヨ鶯平安京」はあまりに有名。
奈良時代、鎌倉時代とともにその始まりの年はほとんどの日本人が覚えているのではないでしょうか。
前後の奈良時代が約80年、鎌倉時代が140年程度しかありませんでしたが、平安時代は400年も続き起きた出来事は多岐に渡ります。
端的にいえば天皇・朝廷・貴族・藤原氏それぞれに栄華と衰退があり、武士が誕生、台頭していったと言っていいでしょう。
また遣唐使も既に20年一貢の原則になっていましたが、唐が平安初期に滅んだ事で廃止。
いわゆる国風文化が花開いた事でも知られています。
「鎌倉時代」とは?
1192年「イイクニ作ろう鎌倉幕府」で多くの方がその始まりは覚えている事でしょう。
しかし近年ではこの通説が否定され1180年から段階的に鎌倉時代へ移行した説に切り替わり、1185年に中学校教科書は改訂しているほどです。
それでも鎌倉時代は武家社会の始まりだったのは間違いありません。
「平安時代」と「鎌倉時代」の違い
「平安時代」と「鎌倉時代」の違いを、分かりやすく解説します。
「平安時代」は約400年。
日本の時代で一番長いだけに当時の権力の図式も栄華と衰退が複数見る事ができるでしょう。
特に藤原氏の栄枯盛衰は世の例えとして歴史に刻まれていると言っていいはずです。
摂関政治の衰退、白河院政を経ての武士の台頭の流れはまさに「平安時代」から「鎌倉時代」へと移りゆく世相を映し出したものだと言えるでしょう。
そしてそれは「鎌倉時代」も同様で歴史は繰り返します。
北条氏の台頭、栄華、衰退が繰り広げられました。
結果的に後北条氏の執権政治の終わりが鎌倉時代の終焉に繋がる事になりました。
まとめ
「平安時代」は約400年続く長い時代で朝廷と貴族が栄華を極めた時代だと言っていいでしょう。
特に藤原氏は摂関政治を行い、この世の春を刻んでいました。
その失脚から端を発して、院政が敷かれ武士が台頭。
鎌倉に幕府が成立し鎌倉時代が始まっています。
「鎌倉時代」は武家、将軍、執権政治の時代となります。
特に後北条氏は前時代の藤原氏同様にこの世の春を刻んでいたのは間違いありません。