日本においては様々な宗派の仏教が定着していますが、その中でも多くの信者をもつ宗派の一つが「天台宗」です。
これは平安時代に遣唐使として中国で学んだ「最澄」が開いたものです。
それでは、この「最澄」とはどういう意味でしょうか。
また、「空海」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「最澄」と「空海」の違いを分かりやすく説明していきます。
「最澄」とは?
「最澄」とは、「伝教大師」とも呼ばれる平安時代の僧侶で、遣唐使に推挙されて唐にわたり、帰国後比叡山の延暦寺で日本の天台宗を興した人物です。
根本的な考え方としては、すべての生きとし生けるものは成仏することができるというものであったために、当時主流であった仏教の教えと異なっていました。
「空海」とは?
「空海」とは、「弘法大師」とも呼ばれる平安時代の僧侶で、自費で遣唐使に加わって唐にわたり、当時盛んだった「密教」の考え方を学び日本で真言宗を作った人物です。
「最澄」と「空海」の違い
「最澄」と「空海」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つの人物は、平安時代の僧であり、遣唐使として中国に渡って仏教を学んできたという部分は同じですが、それぞれ興した宗派が違い、そのため仏教の根本的な部分での考え方が違います。
前述のように「最澄」が興したのは「天台宗」であり、もともとは唐の天台山で広められていたものです。
一方「空海」が日本で興した「真言宗」は当時唐で盛んだった「密教」の流れでできたもので、根本的な考え方として、文書として残っているもの以外に釈迦牟尼が本当に伝えたかったこと、つまり真言は密教の中で伝えられているというものです。
「空海」が「真言宗」を作った後に、密教に関心を持っていた「最澄」は、「空海」と連絡をとりあって、その教えの一部を伝授してもらい、の天台宗でも密教の考え方を取り入れるようになりました。
つまり、日本で仏教の宗派を作ったのは「最澄」のほうが早いのですが、その後の教えは「空海」の思想を含んだものになっているというのが大まかな関係になります。
まとめ
この記事では、「最澄」と「空海」の違いを、解説してきました。
この2人は現在も全国に伝えられている仏教の宗派を作った人物として名前を残していますが、お互いに影響を受けているとも言えます。