たとえば、何かの商品の値段がわからない状況で、「この品物の値段はだいたい見当がつきました」という表現をすることがあります。
それでは、この「見当が付く」とはどういう意味でしょうか。
また、「検討がつく」とは、どう違うのでしょうか。
この記事では、「見当が付く」と「検討がつく」の違いを分かりやすく説明していきます。
「見当が付く」とは?
「見当が付く」とは、「だいたいどういうものか想像ができる」あるいは「察しがつく」というような意味で使用される言葉です。
「見当」は「みあたり」とも読めるように「あたりをつける」というニュアンスを含んでいます。
「検討がつく」とは?
「検討がつく」とは、前述の「見当がつく」の「けんとう」を「検討」と記述したものですが、実はこのような言葉はありません。
「見当がつく」の「つく」には「その行為が行われる」という意味がるので、もし「検討がつく」という表現があるとすれば、それは「検討する行為が行われる」という意味になるでしょう。
「見当が付く」と「検討がつく」の違い
「見当が付く」と「検討がつく」の違いを、分かりやすく解説します。
この2つの言葉は、「けんとうがつく」という言葉であることは同じですが、そもそも比べる言葉ではありません。
なぜなら、「見当がつく」という言葉はありますが、「検討がつく」という言葉は存在しないからです。
存在しないものを比較の対象とするのはナンセンスですが、なぜこの2つが並べて論じられるようになったかという経緯も見当がつきます。
それは、「けんとう」という音を聞くとどうしても「検討」の方を思い浮かべてしまう人がたくさんいるということです。
それは、ビジネスの場で「検討いたします」という言葉を数えきれない回数使用しているからでしょう。
これは、何事もすぐには断らないという日本人のやわらかさを示しています。
まとめ
この記事では、「見当が付く」と「検討がつく」の違いを、解説してきました。
この2つに関しては、音を聞くことで別の文字を想像してしまうという良い例です。
他にも、例えば「きげんをそこねる」という音を聞いて「期限を損ねる」を思い浮かべてしまうのも日本のビジネスマンの性でしょう。