この記事では、「身に余るお言葉」と「光栄なお言葉」の違いを分かりやすく説明していきます。
「身に余るお言葉(みにあまるおことば)」とは?
「身に余るお言葉」とは、相手から掛けられた褒め言葉や感謝の言葉に対し、謙遜の気持ちを込めて用いられる表現です。
「身に余る」は「(待遇や処遇などが)自分には分不相応なほど良すぎること」や「過分であること」、「身に過ぎる」、「与えられた責任や仕事が自分の能力の度を越して重すぎる」という意味を表す言葉です。
「お言葉」は「言葉」を丁寧語になおした語であり、「身に余るお言葉」は(褒め言葉葉や感謝の言葉に対し)「自分にはもったいほどありがたい言葉です」という意味を表した表現だと言えます。
「身に余るお言葉」の言葉の使い方
具体的な例を述べると、『身に余るお言葉を掛けていただき、ありがとうございます』や『身に余るお言葉をいただき、大変恐縮です』、『身に余るお言葉をいただき、光栄にございます』などのような形で使われています。
「光栄なお言葉(こうえいなおことば)」とは?
「光栄なお言葉」とは、相手から掛けられた言葉に対し、感謝の気持ちを込めて用いられる表現です。
「光栄」は「業績や行動を評価されたり、重大な役目を任されたりして、名誉に感じることやその様」、「栄えることや栄えさせること」という意味を表す言葉です。
したがって、「光栄なお言葉」は「名誉となるようなありがたい言葉」という意味を表した表現だと言えます。
「光栄なお言葉」の言葉の使い方
具体的な例を述べると、『光栄なお言葉をいただき、ありがとうございます』や『光栄なお言葉を賜り、恐悦至極に存じます』などのような形で使われています。
「身に余るお言葉」と「光栄なお言葉」の違い
「身に余るお言葉」と「光栄なお言葉」はいずれも、相手から掛けてもらった褒め言葉や感謝の言葉に対して、感謝の気持ちを示すときに用いられる言い回しです。
どちらも間違った表現ではありませんが、「身に余るお言葉」のほうが比較的馴染みのフレーズだと言えます。
まとめ
「身に余るお言葉」と「光栄なお言葉」はどちらも感謝の気持ちを述べる際に使われる表現でした。