この記事では、「良心の呵責」と「慙愧の念」の違いを分かりやすく説明していきます。
「良心の呵責」とは?
「良心の呵責」は「りょうしんのかしゃく」と読みます。
意味は「道徳的に良くない行為をしたと自覚して、罪悪感により自分自身を責めて苦しむこと」です。
「良心の呵責」の言葉の使い方
「良心の呵責」は、慣用句として使われます。
「良心+の+呵責」で成り立っている語で、「良心」は「善悪を判断して、正しい行動を取ろうとする心の動き」という意味、「の」は助詞、「呵責」は「厳しくとがめて叱ること」という意味、「良心の呵責」で「自分の正しい心の動きにより厳しくとがめ苛まれること」になり、ここから「道徳的に良くないことをしたと罪悪感に責め悩まされる様子」として使われています。
「慙愧の念」とは?
「慙愧の念」は「ざんきのねん」と読みます。
意味は「自分の言った事やしたことをかえりみて、恥ずかしいと心に強く感じること」です。
「慙愧の念」の言葉の使い方
「慙愧の念」は、慣用句として使われます。
「慙愧+の+念」で成り立っている語で、「慙愧」は「自分の見苦しさや過ちを反省して、心に深く恥じ入ること」という意味、「の」は助詞、「念」は「思考や感情など、心の中に抱いているもの」という意味、「慙愧の念」で「自分の見苦しさや過ちを反省して、心の中で深く恥じ入ること」になり、そのままの意味で使われています。
「良心の呵責」と「慙愧の念」の違い
「良心の呵責」は「道徳的に良くないことをしたと罪悪感に責め悩まされる様子」です。
「慙愧の念」は「自分の見苦しさや過ちを反省して、心の中で深く恥じ入ること」です。
「良心の呵責」の例文
「良心の呵責」の例文は以下の通りです。
・『略奪婚して良心の呵責に苛まれる』
・『嘘をついて良心の呵責を感じる』
「慙愧の念」の例文
「慙愧の念」の例文は以下の通りです。
・『ミスをやらかしてしまい、慙愧の念に堪えない』
・『親友の力になれず、慙愧の念に堪えない』
まとめ
今回は「良心の呵責」と「慙愧の念」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。