この記事では、「摂理」と「道理」の違いを分かりやすく説明していきます。
「摂理(せつり)」とは?
「摂理」とは、「自然界を支配している法則」や「キリスト教における、創造主たる神の永遠の計画や配慮」を意味する言葉です。
「摂理」の使い方
「摂理」は名詞として使われています。
「道理(どうり)」とは?
「道理」には以下の意味が含まれています。
・「物事の正しい筋道」や「物事の理」、「人としてとるべき真っ当な道」
・「正論であること」や「筋が通っていること」、「筋が通っている様」
「道理」の使い方
「道理」は名詞として使われています。
「摂理」と「道理」の違い
「自然界の法則」や「キリスト教における、神の計画」などの意味を表すのが「摂理」です。
対して、「物事の正しい筋道」や「人としての正しい道」、「筋が通っていること」などの意味を表すのが「道理」です。
「摂」という漢字には「取る」や「取り入れる」、「兼ねる」や「代行する」、「ととのえる」や「おさめる」、「養う」などの意味が含まれています。
そして、「道」という漢字には「通り道」や「手だて」、「物事の道筋」や「人の守るべき道」などの意味が含まれています。
最後に「理」は「おさめる」や「ととのえる」、「ことわり」や「物事の筋道」などの意味が含まれる漢字です。
「摂理」の例文
・『自然の摂理には抗わず、従うのが賢いと言える』
・『彼は宇宙の摂理を解き明かすために、日夜研究に励んでいる』
・『牧師は信者たちの前で神の大いなる摂理について説いた』
「道理」の例文
・『自分の才能に溺れた者は自ら破滅を招いてしまうのが人の世の道理と言える』
・『彼の道理に反したやり方に周囲からは批判が寄せられた』
・『自分がされて嫌なことは人にするなというのはもっともな道理である』
まとめ
「摂理」は「自然界を支配している法則」や「キリスト教における、創造主たる神の永遠の計画や配慮」を意味する言葉であり、「道理」は「物事の正しい筋道」、「人としてとるべき真っ当な道」、「筋が通っていること」を意味する言葉でした。