この記事では、「一蓮托生」と「連帯責任」の違いを分かりやすく説明していきます。
「一蓮托生」とは?
「一蓮托生」は「いちれんたくしょう」と読みます。
意味は「複数の人が、最後まで運命を共にすること」という意味です。
同じ思想や価値観を持つ人たちが集まり、共に目的を達成する為に困難を乗り越える、もし不運に見舞われても辛い思いを共にする、と覚悟を決めて行動することを表します。
「一蓮托生」の言葉の由来
「一蓮托生」は「ひとつの蓮の花の上に、生まれ変わって身を寄せ合う」という意味の四字熟語です。
仏教由来の言葉で、蓮の花はお釈迦さまが生まれて間もなく歩き始めた時に、足跡から咲き出したため、神聖な花とされています。
生前に善行を積んだ者たちは死後に極楽浄土へ生まれ変わり、同じ蓮の上に座れるという考え方に基づいています。
ここから転じて、「善悪にかかわらず、お互いに運命を共にすると覚悟を決めて行動する仲間」に使われる様になりました。
「連帯責任」とは?
「連帯責任」は「れんたいせきにん」と読み、意味は以下の通りです。
1つ目は「複数の者が共同で負担する義務や責め」という意味です。
2つ目は「国会に対し、内閣がひとまとまりとして負う政治的な責めや義務」という意味です。
「連帯責任」の言葉の由来
「連帯責任」は、由来や出典などはなく、言葉の意味から日常で使われている四字熟語です。
「連帯」は「2つ以上のものが結びついていること」「二人以上の者が共同で、行為または結果に対して責任を負うこと」という意味です。
「責任」は「立場上当然負わなければならない任務や義務」「自分のした事により失敗したり、損失が生じた時に責めを負うこと」「違法な行為をした者が、法律上の制裁を受け、何らかの義務を負うこと」という意味です。
「共同責任」で「2人以上の者が行ったことに対し、失敗したり損失が生じた時に、共同で責めを負うこと」になります。
「一蓮托生」と「連帯責任」の違い
「一蓮托生」は「善悪にかかわらず、お互いに運命を共にすると覚悟を決めて行動する仲間」です。
「連帯責任」は「2人以上の者が行ったことに対し、失敗したり損失が生じた時に、共同で責めを負うこと」です。
まとめ
今回は「一蓮托生」と「連帯責任」について紹介しました。
それぞれの違いを理解して、正しく使える様にしておきましょう。