この記事では、「窘める」と「諌める」の違いを分かりやすく説明していきます。
「窘める」とは?
「窘める」は、反省をするように促すことです。
もしくは、誤りを注意するという意味を持ちます。
「窘める」は、注意する行動を指し、誰に対しても反省を促すことを意味します。
なので、「諫める」と比較した場合、こちらは誰でも反省をするよう促すという意味で使用できますが、「諫める」は、部下側が上司に対して反省を促すという意味でしか使用できないです。
「諫める」とは?
「諫める」は、格下の者が格上の者にたいして、意見することで、誤りなどを注意するという意味です。
なお、「諫める」は、格下が格上の人に対して注意をすることなので、格上が格下に対して注意することだという認識で使用するのは間違いになります。
「窘める」と「諫める」の違い
両者の違いは、反省を促す人物に違いがあります。
「窘める」は、反省を促す人物というのは誰でもよく、上下関係なんてどうでもよいです。
ですが、「諫める」の場合、上下関係がありまして、「諫める」は、格下が格上に対して反省を促すという意味で使用するので、人物に対して限定するという違いがあります。
「窘める」の例文
・『彼女に身勝手な行動について窘める』
・『親の身勝手な行動について子が親を窘める』
「諫める」の例文
・『上司に計算間違いについて諫める』
・『上司に対して、不鮮明な会計処理について諫める』
まとめ
「窘める」については、間違いとか、反省を促すという対象が誰でもよいという利点があります。
なので、目上から格下に対して間違いとか反省を促すというのは、「窘める」を使用して反省とか間違いを指摘したと言います。
逆に、部下側が上司に対して上司が間違っている、上司こそ反省すべきであるという場合は、「諫める」という言葉を使用するんですが、まずこの言葉、上司に対して意見するわけですから、そうそうお目にかかることはないでしょう。